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「さっき、保健室に菅原くん来たよ」

 名字の言葉に清水は珍しく驚いて彼女を見た。マネージャーとしてもそうだし、名字の口からその名前が出たことも清水にとっては予想外だったのだ。

「え、どうして?」
「調理実習で指切っちゃったんだって。ちょうど先生がいなかったから、私がもってたバンドエイド渡したんだ。痛そうだったけど深い傷でもなかったみたいだし、多分大丈夫だと思うんだよね」
「そう、なんだ。名前はもう具合大丈夫なの?」
「うん。少し寝たら良くなった。ごめんね、心配かけて」
「ううん、謝らないで」

 ついこの前、菅原が自分に彼女の名前を訊ねてきたときの事を思い出す。

――ほら、また何かあるかもしれないだろ? それに同じ学年なんだから知ってても良いかなって思ったんだけど……

 名前を聞いたから今日の出来事が起こったのか、それとも今日の出来事が起こることはあの時から決められたことだったのか。
 そこまで考えて、清水は何を考えているのだろうと冷静を取り戻した。偶然なのか必然なのか、なんて。この前借りた漫画の内容に引っ張られてしまったのかもしれない。別に同じ学年なんだし、これくらいなんてことない日常だ。

「この前話したときも思ったけど、菅原くんて優しそうだよね」
「え? あ、うん。澤村とはまた違う形で部内をまとめてくれるタイプ」
「たまに潔子ちゃんと菅原くんが廊下で話してるの見たことあったけど、その時は、あー絶対この人私のこと知らないだろうなあ話しかけるのやめとこって思ってたんだよね」

 つい先日までは恐らくそうだったと思う。という事を清水は口に出さなかった。

「別に、声かけてくれてもいいのに」
「話遮るのも悪いかなって思ったし。けど、私の名前知っててくれたみたいだから今度は気兼ねなく声かけられそう。そういえば、潔子ちゃんが私の名前伝えたんだっけ?」
「うん、そう。ごめん、嫌だった?」
「ううん、全然! 知り合い増えるの嬉しいから」

 名字が笑う。清水は彼女の屈託のない純心な笑い顔が好きだ。自分とは正反対に喜怒哀楽がはっきりとしているところが一緒にいて妙にスッキリする。
 不意に、なんとなくではあるが清水は思った。名字のこういう自分の好きなところが菅原にも伝われば良いのに、と。なぜそんなことを思ったのか清水自身でも不可解だった。ただ、やはりなんとなくではあるが菅原と名字は合っている気がすると思うのだ。行き着く先は定かではないが、二人の相性は多分悪くない気がする。

「潔子ちゃん?」
「えっ?」
「考え事? ぼーっとしてる顔も可愛いけど、なんかあった?」
「ううん。なんでもない。ごめんね」

 けれどそれは、今わざわざ彼女に言うべき事でもない。
 清水はそれまで考えていたことを頭の引き出しにしまい、次の授業の準備に取りかかることにしたのであった。


△  ▼  △


「指、怪我したんでしょ?」

 体育館にやってきた菅原に声をかけたのは清水だった。先程、名字から聞いた菅原の怪我を心配してのことだったが、清水にその事を伝えた覚えのない菅原は少し驚いた顔を見せた。

「名前から聞いた。保健室であったって」
「あ、それで」
「大丈夫そうって言ってたけど、大丈夫?」
「平気平気。名字さんに巻いてもらったし」

 そう言って菅原は少し嬉しそうにバンドエイドの巻かれた指を見せた。
 確かに見たところ名字の言っていたように、そして本人が言うように大丈夫そうだ。清水は「そう」とだけ言うとマネージャーの仕事に戻ろうとした。それを遮ったのは、菅原だった。

「そういえば名字さんは大丈夫なんだよな?」
「名前?」
「なんで保健室にいたか聞くの忘れてて」
「体育で具合悪くなって念のために保健室に行ってたの。そのあとは元気だったし大丈夫だと思うけど」
「そっか。ならいいんだけど」

 それを菅原が気にするのか、と清水は思う。邪推するわけではないけれど、菅原は名字に気があるのだろうか。清水から伺うような瞳を向けられた菅原は焦る。遠くではその光景を見た田中と西谷の抗議の声が挙がっていたが気にしないこととした。

「え、な、なに? なんか俺変なこと言った?」
「……べつに」

 ただそれは、菅原自身も意識しないところでゆっくりと動き出すのだ。

(16.07.18)

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