#15



 人の優しさが痛い時がある。優しくされることに慣れていなくて、どう受け止めたら良いのか分からないのだ。私にとって、及川くんがそれだった。及川くんの優しさは、どんな風に受け止めたら良いのか分からない。

『部屋?』

 孝ちゃんからの連絡が入る。部屋だよ。そう返事をすると、今から行っていい? と聞かれた。私は慌てて身形を整えて、部屋の散らかっていた部分を片した。大丈夫。と返事をすると、10分程して、孝ちゃんはやってきた。

「珍しいね、孝ちゃんが私の部屋くるの」
「ん? まあたまにはな」
「なんかあった?」
「いや。特には」
「ないのかい」
「でも名前にはあるべ?」

 私のお気に入りの座椅子に腰かけた孝ちゃんが、見透かすような瞳で言ってきた。精悍な顔立ちの孝ちゃんに、私は思わず瞳をそらしたくなった。誤魔化すように聞き返す。

「え?」
「元気ない。それくらい分かる。何年幼馴染やってると思ってんだよ」

 見つめあって数秒。白旗を挙げたのは私だ。

「色々あるんだよ、花の女子高生は」
「だから、俺が聞いてやるために来たんだって」

 ちょっとお兄さんぶって孝ちゃんは言った。あのさ、言えれば苦労なんてしないよ。というか言えれば悩まないし。何年も幼馴染やってるのに、どうして恋愛事には疎いかな。それとも、私だからなのかな。

「…なんでもないわけじゃないけど、孝ちゃんには言えない」
「何で?」

 じぃ。効果音をつけるならそれしかない。孝ちゃんはそらすことなく見つめるのだ。自分の部屋だと言うのに居心地が悪い。私はその視線から逃れるように孝ちゃんに背を向けた。厳密に言うと、学習机にきちんと座り直したのだ。目に入るコルクボード。たくさんの写真。半分近く、孝ちゃんが写っている。自然と私の眉が下がった。

「こうやって見ると、孝ちゃん長いこと一緒なんだよね」
「…いきなりどうしたんだよ」
「私の写っている写真には大抵孝ちゃんがいる。小さい頃のなんて兄妹かってくらいに」
「まぁなー。17年だもんなぁ」

 先程までの鋭い瞳の孝ちゃんは消え去って、私と同じように過去を懐かしんだ。幼い頃、私は疑わなかった。孝ちゃんが居なくなる可能性があること。自分が離れていくことを。大人になっても孝ちゃんは私の隣にいてくれるものだと思っていたし、いつかは結婚するものだ、となぜか確信していたのだ。保証なんてどこにもないって今なら分かるのに。
 指輪なんてなくても、窓を飛び越えられなくても、私たちは一緒だと、思って疑わなかった幼い私。でもいざ蓋を開けたらこれだ。離れていったのは、私のほうなのに。

「うわ、懐かしいのばっかりだな。これとか、名前凄い顔してんじゃん」

 孝ちゃんが1枚の写真を指差した。中学最後の孝ちゃんの試合。孝ちゃんたちのチームが負けて号泣している私に、孝ちゃんが瞳に少し涙を溜めて笑って写真。多分、バレー部の誰かが撮ったのだろう。酷い、という言葉が似合うくらいに私は不細工に人目も憚らず泣いている。そりゃあ、こんなの孝ちゃんも笑っちゃうか。それでも私のこんな泣きっ面が、悔しさをバネにする手助けを出来ていたのなら本望だ。

「次の日の名前の目酷かったよな」
「あれね、目が開かなかったよね」
「…あん時から、あんま泣かなくなったな」
「そりゃあ、もう17だし。泣かないでしょ」

 泣かないのか、泣けないのか自分でも定かではないが、孝ちゃんの前で気丈でいようと思ったのは確かだ。青葉城西を受けるって決めてから、孝ちゃんの前で愚痴は言っても弱音は吐かないと決めたのだ。孝ちゃんはそんな私の決意、知るよしもないだろうけど。

「俺に話せないならそれでいいけど、無茶はすんなよ?」

 孝ちゃんが立ち上がって私の頭に手を置いた。孝ちゃんは昔から、私が落ち込むとこうやって慰める。私は「うん」としか言えなかった。
 優しさが痛い時がある。孝ちゃんの、こうやって手放しに優しくしてくれるところが、たまに心に突き刺さる。その度に、孝ちゃんが皆に優しいのが嫌になって、私だけに優しければいいのにと思う。特別に私だけに優しい孝ちゃんになってしまえばいいって。でもこんな醜い心、孝ちゃんには見せられない。孝ちゃんは何も知らないから。私が酷いやつだってことも、孝ちゃんのことをずっと好きだってことも。孝ちゃんはいつまで経っても気付かない。

(16.01.08)