#16



 及川くんから借りたままのマフラーを返す決意が出来たのは、年明け直ぐのことだった。本当は年を越す前に会って直接返したかったのだが、年末年始の忙しさや、あの日の私の態度を考えると、及川くんに連絡する手が止まってしまったのだ。
 年明けの挨拶も込めて連絡をすると、及川くんからすぐに返事がきた。丁度、今日は月曜日で部活が休みだから私さえ良ければ駅前で会おうとのことだった。私は二つ返事で快諾した。

「及川くん!」

 私が駅前に着くと、及川くんはすでにそこに居た。背が抜きん出て高いし、所謂、オーラのようなものがあるのだ。カリスマ性と言えば良いのだろうか。及川くんは平凡とはかけ離れている場所にいる人物だと思う。
 私の声かけに及川くんはすぐに反応してくれた。いつもみたいに、笑顔で手を振って。こういう及川くんは大きな犬みたいで単純に好感が持てる。無邪気というか、裏表のない感じ。

「名前ちゃん! わざわざごめんね」
「いや、貸して貰ったの私だし。はい、ありがとうね」

 黒いショッパーに入れたマフラーを渡す。及川くんは受け取ると、中にマフィンが入っている事に気付いた。作ったのではない。近所で評判のケーキ店のものだ。

「大層なものではないんだけど、一応お礼。…あと、この前は色々言いたい放題だったし……お詫びも込めて。甘いものが苦手だったら家族の人に渡してほしいな」
「なんか気を使わせちゃった?」
「ううん! 私がしたくてやったことだから」

 私は慌てて手を振った。
 あの日、及川くんから貰ったバラを、ブリザードフラワーにしようか迷った。枯らしてしまうのは勿体ないなと思ったのだ。お母さんにシリカゲルがないか訊ねようとした時、私はふと気がついた。及川くんは、枯れることが出来るから、無くなることができるから私に花を渡したのではないか、と。一生残るものではなくて、一瞬に強く生きる花を。
 私の思い過ごしかもしれない。だけどそんな気がした。私はバラを一輪挿しに活けた。それを部屋のテーブルの真ん中に置くと、不思議にもそれだけで部屋のなかが華やいだ気がした。たった一輪の花なのに。そしてそれは、しばらく優雅をまとうように咲き誇って、徐々に萎れていった。衰退を甘受するように、それでもバラは美しかった。

「名前ちゃんからなら食べないわけないよ」

 私は、生まれてこの方、他人からこれほどまでに好意を伝えられたことはない。もちろん、及川くんがただの興味本位で言っている訳ではないのはわかる。私が孝ちゃんを好きではなかったら、及川くんの気持ちに応えていたかもしれない。それくらいに、及川くんの私に対する好意は、真摯だった。
 だけど私は、生まれてこの方、他人をこんな風に好きになったこともない。孝ちゃんは家族のようなもので、つまり、自分のパーソナルスペースから距離が離れた人を、こんな風に好きになれるのは、どんな感覚なんだろうな、と思うのだ。だから、及川くんは私にとって不思議な存在である。

「この後、予定ある?」
「ううん。特にはないかな」
「じゃあ、デートしない?」
「デート?」

 及川くんは名案だとでも言わんばかりの表情だった。

「せっかく会ったし…と思ったんだけど、ダメ?」

 私は悩んだ。デートをすること事態は別にダメではない。いや、デートと言っているのは及川くんだけで、私としてはただもう少し一緒にいる感じだと理解しているが。ただ、曲がりなりにも他に好きな人のがいる私が、それを受け入れていいのだろうか。これは、孝ちゃんに対する裏切りなのではないだろうか。そんな疑問が頭を過るのだ。

「名前ちゃんは真面目だねぇ」

 及川くんは染々しながら、続けた。真面目。これが真面目かどうかは分からない。でも孝ちゃんが好きなのに及川くんの気持ちをはっきり断らない私は、少なくとも自分を真面目だとは思えなかった。

「困らせるつもりはなかったんだけどな。じゃあ、ほら、近くカフェ入って少し話さない? それなら良いでしょ?」

 私は「No」と言えなかった。及川くんは私の腕をつかんで歩き出していたのだ。けれど私は何故かそれを強引だとは思わない。それでも、孝ちゃんに対する罪悪感は拭えないのが、辛い。及川くんは本当に近くにあった雰囲気の良いカフェに入った。店員がやって来て私たちを窓のある席へと案内してくれる。及川くんと対峙している今が、小春日和の見せる幻であればいいのに、と思っていた。

(16.01.09)