#17



 カフェの室温が、冷えた身体を優しく包み込むかのようだった。テーブルの木目を見ながら、及川くんはオシャレなカフェが似合うなぁ、とどこか暢気なことを考えていた。

「名前ちゃん、何がいい?」
「あー……じゃあ、紅茶で」

 及川くんが店員さんに注文をしてくれる。こう言うのをデート、と言うのだろうかやはり。孝ちゃん以外の男の子と二人きりでカフェに入るのは初めてのことだ。客観的に私たちはカップルだろうし、きっと本当のカップルもこんな感じなんだろうな、と思った。

「もう注文しちゃったから言うけど、ちょっと強引に誘っちゃったなって思ってる」
「はは、言っちゃうんだ」
「名前ちゃん、さっきから難しそうな顔してるし」
「えっ、そう? そんなつもりは無かったんだけど……」

 及川くんの指摘に少しドキッとした。及川くんは人をちゃんと見ている人だ。凛としたその瞳はたまに、見透かしていそうで、困るときがある。いや、違うな。見透かした上で、全部を受け止めそうだから、怖くなるんだ。及川くんは女の子を大切にするんだろう。きっと、それは、その子が苦しくなってしまうくらいに。

「もしかして、俺、名前ちゃんのこと困らせてる?」

 ぎょっとした。確信を突くような言葉だったから。うん。と言えば及川くんはどうするんだろう。でも「うん」なんて言えなくて「そんなことはない、けど……」と上手くない嘘を固めた。

「はは、名前ちゃんてば正直だよね。顔に書いてるよ? 困ってます〜って」
「な、なら聞かないでよ!」


――別にアイツの味方っつーわけじゃねえけど、及川も及川なりに色々考えて名字のこと好きだと思うから、もう少し……まあ、なんだ、及川の言うこと信じてやってもいいと思う。チャラチャラしてるように見えるかもしんねえけど、根はまあ、真面目っつーか、そんな誰にでも好き好き言わない奴なのは確かだな。


 何故か今になって、岩泉くんの言葉を思い出した。分かってる。及川くんは本当はきっと、誰よりも真面目だ。今もきっと飄々としているけど、私を困らせてることを申し訳なく思っているんだろうな、きっと。

「夏に、及川くんと初めての話したの覚えてる?」
「……うん、覚えてるよ」
「あの日から、及川くんとは話すようになって、そこそこ……いや、ちょっとかな? あの時よりは及川くんのこと分かってきたような気はしてるんだよね」
「うん」
「でも、私は他に好きな人がいる。だから、及川くんの気持ちには答えられない」

 ドキドキしていた。それは及川くんを傷付けるだろう言葉だから。人に酷いことを言うのは、こんな心情なんだと知る。けれど、きちんと言わずに孝ちゃんを好きなまま、及川くんをヒラヒラとかわしているほうが人として酷いことなんだ。私はそう言い聞かせた。友達としてなら最高に楽しいのに、どうして一度恋愛感情が入ってくると上手くいかないんだろう。17年生きても、その答えは出せないものなのか。

「待ってるって言ったよ?」
「……いいよ、待たなくて。待っていたら、及川くんの時間が勿体ない」

 及川くんのほうが絶対に辛いはずなのに、辛い顔をしないのは「男のプライド」というものなのだろうか。それとも、私の心が辛さを帯びているのを及川くんは分かっていて表情に見せないのだろうか。でも、言うのだ。私は今日、及川くんにきちんと気持ちを伝えるためにここに来たのだから。

「待つよ。だってもう3年は待ったから。だからまだ、待たせてよ」

 3年? 一瞬、聞き間違えだと思った。だけど聞き間違えてはいないと分かったのは、及川くんが続けて「だって、名前ちゃんと初めて話したの、夏じゃないから」と言った言葉があったからだ。驚く私を及川くんは見つめる。身体の真ん中を抜くような視線。私は視線の逸らし方を忘れる。

「名前ちゃんは忘れてるかもしれないけれど、中学最後の大会の時に、名前ちゃん俺と話したんだよ。誰かの応援に来てたでしょ?」

 中学最後の大会。応援なんてそんなの、孝ちゃんしかいない。でも申し訳ないけれど、及川くんと話した記憶なんて一切ない。記憶の糸を手繰り寄せてみてもダメだ。眉間に皺を寄せて考える私を見て及川くんは苦笑した。「やっぱり覚えてないかぁ」なんて、ちょっと寂しげに。

(16.01.12)