#19



 行こうか。及川くんが腰をあげた。空になったティーカップを見て「うん」と答える。正直、いま一緒にいてどんなことをどんな風に話したら良いか分からなかったから助かる。

「じゃあ俺は買い物してから帰るけど、名前ちゃんは?」
「私は、真っ直ぐ帰るかな」
「そっか。送ってあげられなくてごめんね」
「う、ううん! 今日は、ありがとう。また……学校で」
「うん。また」

 及川くんに手を振って、バス停の方へ向かう。今日、及川にはっきり伝えるつもりだった「ごめんなさい」はわたあめが小さく溶けていくように消えた。変わりに及川くんが一歩、私の心に入り込んでくる。多分あの時、押しきられた。及川くんは私に断る隙を与えてくれなかった。
 私は深いため息を吐く。困った。いろいろと。とにかく今は家に帰ってゆっくりしよう。そう思ってバスを待っていると後ろから肩を叩かれる。誰だ。私は振り向いた。

「……孝ちゃん?」

 そこには孝ちゃんがいた。ジャージ姿。部活終わり? 私の隣に来た孝ちゃんは、私を見ること無く言った。

「さっき、男といたべ。見ちゃった」

 事実だと言うのに、後ろめたいことはないはずなのに、否定をしたくなった。でも孝ちゃんは見たんだ。私と及川くんが一緒にいるところ。「うん、まあ……」口ごもりながら言う。

「同じ学校のやつ?」
「一応」
「一応ってなんだよ。まさか付き合ってるとか?」
「いや、それはないけど、何で?」
「何でって幼馴染だろ?」

 何故か、孝ちゃんの発した「幼馴染」と言うワードが私の心の奥底のくすぶった部分を突いた。幼馴染という言葉は結局、都合の良い言葉なのだ、と私は理解したからだ。

「幼馴染だと何でも言わなくちゃいけないの?」
「別にそうじゃないけど。怒ってんの?」
「別に……後、私好きな人いるし。だから違う」

 孝ちゃんは怪訝そうな顔をする。私は自分の浮き沈みの激しさに自己嫌悪を感じた。早くバスよ来い。人が居る中で言い合うのはさすがに恥ずかしい。そう思ったけど、言い返しているの私か、と気付いて口をつぐむことにした。これは、あれだ。生理前だから。そう、それ。……それであってほしい。
 バスはそれから直ぐにやってきて、私と孝ちゃんは人の流れに沿って乗り込んだ。孝ちゃんも私の様子が違うのを分かっているのか何も言わない。助かった。孝ちゃんに何か言われたら多分、ひねくれた態度しかとれなさそうだから。
 最寄りのバス停で私たちは降りる。黄昏の空が私と孝ちゃんの影を長く伸ばしていた。互いに言葉も無く帰路につく。及川くんと孝ちゃんが頭の中にいて、ぐちゃぐちゃだ。ただ単純に、好きな人に好きになってもらいたいだけなのに、なんで上手くいかないんだろう。

「あのさ」

 互いの家の前に着くと孝ちゃんは重たそうに口を開いた。何を言われるか少し怯えながら言葉を待つ。

「他に好きなやつがいるなら、男と2人で出掛けるのはどうかと思う」
「……孝ちゃんだって男子だけど」
「俺らは幼馴染だし、違うだろ?」

 泣きそうになった。足元が崩れる感じって言うのかな。全部放り投げて孝ちゃんから走り去っていきたかったど、私はただ真っ直ぐに孝ちゃんを見ているだけだった。私は、孝ちゃんをただの幼馴染だと思ったことは1度もない。ずっと特別だった。私も孝ちゃんにとって特別な存在になれると信じてた。なんで孝ちゃんがそんなこと言うんだ。

「……孝ちゃんが違うのなら、違うのかもね」

 背を向けて家に入る。お母さんのおかえりを聞き流して、私は部屋のベッドに埋もれた。恋とはもっと、楽しいものだと思ってた。だけど、私の恋は苦しさばかりだ。幼い頃は孝ちゃんと一緒にいられるだけで楽しかったのに。だけど、いつしか恋は欲張りになっていって、孝ちゃんの心が欲しくなった。

『さっきはきつい言い方して悪かった。』

 頭上にあった携帯が音をならして連絡が入ったことを教えてくれる。怠いな。そう思いながら確認すると孝ちゃんからだった。じっと画面を見つめる。なんで、謝るのかな。明らかに私の態度が良くないのに。なんで、何も知らないのかな。知ろうとしてくれないのかな。なんで、幼馴染なのかな。ポロリと涙が零れて、自分が一層嫌になった。
 私は気付いてしまった。及川くんに中々断れない理由。ずっと私に似てるからだと思ってたけど違う。及川くんは私とは全然反対だった。好きな人に好きと言える及川くんが、羨ましくて狡くて悔しくて格好良かったんだ。私は孝ちゃんに「好き」の言葉を言えないから。

(16.01.14)