#23



 たまに思うことがある。なぜ、私は孝ちゃんに好きと言えないのだろう、と。でも、分かってる。言ったらもう取り消せない。もう同じ関係には戻れない。もう気軽に笑えない。それが怖いから言えないのだ。
 及川くんを見ていると、自分を客観視できる。私も及川くんのように言えたらいいのに、と思う。でも、言えない。私は、及川くんのようにはなれない。孝ちゃんにかわいい子だと思われたいし、いい子だと思われたい。だから言えない。
 私にとって及川くんは眩しかった。私には出来ないことをやってのける人。好きという言葉を、好きな人に言える人。及川くんのバレーを見ていると納得する。あの人は満足行くまで自分を追い込む人なんだろうな、と。納得するまで、やりこむ。それが私には嫉妬してしまうほど羨ましかった。私にとっての及川徹とは、そう言う人だ。そこに恋心はない。だけど、及川くんは私の心に、頭にいる。孝ちゃんとは正反対の位置で及川くんは私の中に存在するのだ。

「急にごめんね」

 部活前に及川くんを呼んだ。人のいない校舎の片隅で、私たちは向かい合う。この一瞬だけ切り取ったのなら、告白シーンみたいだな、なんてことを思う。これから言うのは全然違うことなのに。

「どうしたの?」
「うん、あの……」

 息を大きく吸うと肺に冷たい空気が入ってきた。早く春になれ、と願うのに寒さは増すばかりだ。

「及川くんは私の事、す、好きなんだよね?」

 言葉にするとくすぐったかった。自分の事を好きかどうかの確認なんて、やっぱり変な感じだ。及川くんは何を今さら、とでも言いたげな顔をして「うん、そうだよ」と頷いた。私にも及川くんの半分くらいの度胸があればいいのに。岩泉くんの言葉を思い出して自分を律する。言え。言うのだ、私。

「……及川くんはかっこいいし、優しいし、スマートに物事をこなすし、素敵な人だと思う。だけど、私は好きな人がいて、だから、及川くんの気持ちに答えることは出来ない」
「前にも待つって言ったよ?」

 私は居心地が悪かった。

「待たないで、ほしい」
「なんで?」
「及川くんの、時間を無駄にしたくない」

 嘘だ。私は及川くんの好意に耐えられる自信がなかったのだ。頭の中の及川くんが増えていくのが怖かったのだ。
 その言葉に及川くんは顔から笑みを消した。何かを思案するような顔。だけどその顔の裏で何を考えているか分からない。私の知らない及川くんを見た気がして、少しだけ怖かった。

「なら、待たない」

 ほっとしたのは束の間だった。

「名前ちゃんに俺のことを好きになってもらうように、もう、優しくなんかしてあげない」

 何を言っているのか分からなかった。だって、普通好きなってもらうんだったら優しくするんじゃないの? 私はそう言う性癖ではないんだけど。しかめっ面の私に及川は追い討ちをかけるように言った。

「名前ちゃんが俺のこと嫌だって言ってもやめてあげない。だから、待たない」

 それは及川くんにとっての宣戦布告であり、これから始まる怒濤の日々の幕開けとなる予告のようなものだったのかもしれない。

「い、いや、え? なんでそうなるの?」
「俺は名前ちゃんの事を好きな時間を無駄だとは思わないよ」

 及川くんはもしかしたらこのとき、少し怒っていたのかもしれない。無駄だ、と言った私に。彼の本音を私は知ることはないけれど、なんとなくそんな気がしたのだ。いや、自分に置き換えたらそうなのかな、と思っただけだ。私も、孝ちゃんを好きになって、それを無駄だと思ったことは一度たりともないから。


△  ▼  △


 及川くんに感化されたかどうかは定かではないが、その夜、私は孝ちゃんに1通のメールを送った。

『いつか、孝ちゃんに言いたいことがある。今はまだ、それを伝える覚悟がないけれど、必ず伝える。だから、その時がきたら、笑わないで聞いてほしい』

 返事は短かった。『わかった』と。孝ちゃんが私の文章を見て何を思ったのかは分からない。だけど私はこの時気付いたのだ。いや、薄々分かっていた。ただ、気づかないふりをしていた。変わらないものはない。人も、関係も、想いも。そんな事を私はその日、受け入れられるようになったのだ。自分でも不思議なくらい、スッと。


 そして、季節は春を迎えようとしていた。私が青城に入学して3度目の、高校生活最後の1年が始まる。

(16.01.31)