#26


「烏野と練習試合?」

 3年生になると及川くんの願った通り、私と及川くんは同じクラスとなった。これもまた何かの縁なのかと思う私に及川くんは言った。4月が始まって、中旬に差し掛かろうかという頃のことである。

「そうそう。来週に。名前ちゃんの好きな人、烏野のバレー部なんだってね」
「誰から聞いたの?」
「岩ちゃん」

 岩泉くんがそういう話をするのが少し意外だった。孝ちゃんからもそんな話は聞いてなくて、及川くんには申し訳ないけど、はじめてそれを聞いたときは及川くんの冗談かと思ったくらいだ。

「それ本当?」
「ホントだって!」
「及川くんも試合するの?」
「あー、俺は出ないよ」
「そうなの?」
「この前、軽い怪我しちゃって」
「えっ大丈夫なの?」

 一瞬、練習試合の事を忘れてしまう。及川くんはもう平気と言ったけれど、スポーツをやる人にとって怪我って些細なものでも大きなものだと思うんだが。そんな心配をするけれど、笑う及川くんを見るとこれ以上何かを言うことが憚られる。

「ポジションどこ?」
「え?」
「名前ちゃんの好きな人」
「あー……」

 言うべきか言わないべきか迷った。知られるのが嫌なわけではない。だけど一応同じ県内でライバル校同士なんだから、そういう裏の事情みたいなものを抱えて欲しくなかった。たとえそれが二人にとってはさして重要なことではないにしろ。
 
「……秘密」
「えーそういうの俺、余計に気になっちゃうんだけど。それに同じセッターだったら今後、負けたくないし。まあ誰が相手でも負けないけどね」

 その同じセッターですよ、とはやはり言えない。私は曖昧に笑って誤魔化することにする。


△  ▼  △


 及川くんに教えてもらった練習試合の当日、私はこっそりと学校へ向かった。その後孝ちゃんから練習試合があるということを再び教えてもらったのだが、どうやらこの試合、孝ちゃんは出ないらしい。新しく入った1年生が名指しされてセッターをやる、とのことである。
 試合前にちょうど体育館手前の廊下で岩泉くんと会い、私は彼の名前を呼んだ。

「観に来たのか?」
「ちょっとだけね。一応、岩泉くんには声をかけようと思って」
「及川ならまだ来ないと思うぞ」
「あ、出ないって言ってたもんね。怪我大丈夫かな?」
「大丈夫じゃないと困る」

 確かに。

「及川くんに声かけてもらったし、及川くんと会ったら帰るつもり。だからそれまでは邪魔にならないように観させてもらうね」
「おう」
「それじゃあ」

 そう言って去ろうとした私を岩泉くんは引き留めた。真っ直ぐに見つめる瞳は濁りない。

「そういや名字はどっちの応援で来たんだよ」
「え?」
「お前の好きなやつ烏野の中にいんだろ?」
「それは……」

 瞬時に答えられなかったのは多分、いろんな要因があった。だってこの試合、孝ちゃんも及川くんもでないんでしょう? でも待って、それは今回だけで今後は違う。その"今後"がきたら私はどちらを応援するのだろう。……孝ちゃん、だよ。な、はず。でも及川くんや岩泉くんをはじめとする青城バレー部の練習風景を知っているから負けてほしくないとも思う。
 それを考えると答えられなかった。岩泉くんは迷う私を理解してくれたのか、その答えを急かすことなく体育館へと向かっていった。


△  ▼  △


「孝ちゃん」

 事前に連絡を入れて体育館の出入り口のところに来てもらった。ユニフォーム姿の孝ちゃんは笑っている。

「今回は俺、出ないけどな」
「うん。でも、応援してる。頑張ってね」
「敵なのに良いのか〜、そんなこと言っちゃって」
「素直に受け取って!」

 及川くんが試合には出ないことにほっとした自分がいた。それは酷い話で、自分勝手だと言うことはわかっていた。
 孝ちゃんだけを見つめていた私の世界に及川徹という人間がじわりじわりと歩み寄ってきていることが怖い。孝ちゃんだけを見つめていたい私の世界に彼がゆっくりと侵入してくるのを私はわかっている。

「孝ちゃん」
「ん?」
「応援、してるからね。頑張ってね」

 孝ちゃんは笑う。笑って「おう」と言う。私の気持ちを知ることなく。烏野バレー部へと走り去っていく孝ちゃんの背中が遠い。そんな風に私は置いていかれるのだろうか。いつか孝ちゃんは私の行けない場所までいってしまうのだろうか。
 複雑な気持ちを抱えたまま私は試合を見ていた。結果として、烏野は負けた。だけど、と思う。だけど私は青城が負けたとしてもきっと今と同じ気持ちになっただろうと。上手く言葉に出来ない複雑な気分。この気持ちの晴らし方を、この気持ちの正体を、この気持ちの発生源を、私はまだわかっていない。


△  ▼  △


 好きな人のことを嫌いになれる瞬間ってどんな時なんだろうと思う。尊敬できなくなったら? 軽蔑したら? 酷いことされたら? でもあまりピンとこない。いっそ、忘れることができたらいいのに。

「次はインハイの予選だよ」
「え?」
「公式戦。まだ分からないけど、烏野と当たるかもしれないし。この前の練習試合は名前ちゃんの好きな人、出なかったみたいだけど次はわからないでしょ? てか名前ちゃんの好きな人ってあの爽やかくん? ああいうタイプが好みなんだ?」

 繰り出される及川くんの台詞に私の目は点になる。そんなにいっぺんに言われたら何から答えて良いのかわからなくなるんですけれども。不敵な笑みを浮かべる及川くんの瞳が何を思っているのか、私にはわからないままだ。

「6月……だったよね、確か。観に行くつもりだよ」
「俺の応援してくれる?」

 私はまた答えられなかった。及川くんはそんな私を見透かすように言う。

「応援、待ってるね」

 そして彼は自分の席へ戻っていった。残された私は呆然と考える。待たないって言った及川くんは、優しくなんかしないって言った及川くんは、今までより強引に私の心に入ろうとしてくるようになった。孝ちゃんにはない及川くんの魅力に私は少しずつ意識が向かうのを自分でも感じていた。だけどそれが恋なのかは正直まだ分からない。
 及川徹という人間に対する興味なのか、自分とは違う生き方をする彼への憧れなのか。答えが出せるものなら今すぐにでも出したいというのに。

(16.03.02)