#27



 及川くんへのそんな意識もあってか、私は意図的に孝ちゃんと会う口実を作った。及川くんの事を考えたくはなかった。このまま及川くんを頭から追いやって、今まで通りに私は孝ちゃんを好きで、孝ちゃんに振り向いてもらうために頑張る自分でいたかった。

「……最近どうしたんだよ」

 孝ちゃんは言う。困ったように。

「え? なんのこと?」
「家でなんかあったわけじゃないべ? こんなに家に来ようとすること今まで通りなかったろ。なんかあったら聞くから言った方が楽になるぞ」

 孝ちゃん、あなたは私のカウンセラーか。だけどその申し出は素直に聞き入れられない。孝ちゃん自身が私の気持ちに関与しているって言うのに言えるわけない。でも何もないよで納得してくれるはずもないこともわかっている。

「……孝ちゃん。孝ちゃんはいつか私のことを嫌いになったりするかな?」
「はあ? んなことあるわけないだろ」

 即答してくれるのが嬉しかった。そのまま、孝ちゃんはいつか私のことを好きになってくれるかな。なんて聞けたらいいのに。

「友達と喧嘩でもしたか?」
「ううん、違う」
「……言いたくないなら無理には聞かないけど、本当に無理するなよ。あんま思い詰めても解決しないぞ?」

 言えたら楽なんだろうな。孝ちゃんが好きですって。真っ正面からはっきりと。決意とは案外、脆いものらしい。いざ、と思った瞬間にそれはゆっくりと萎んでいってしまうのだ。穴の空いた風船のように。
 きっと私は狡い。自分でも自分が嫌になってしまうくらいに、狡い。

「ありがとう。孝ちゃんの優しいとこ、救われる」

 上手く笑おうとした。多分、上手く笑えてた。孝ちゃんの瞳にどう写ったのかはわからないけれど。

「あのさ」
「うん」
「前から言おう、っつーか、名前の中で誤解がありそうだから言うけど」
「う、うん?」
「俺は、誰にでも優しいわけじゃない」

 孝ちゃんの瞳は揺れていた。それはもしかすると、初めて見る孝ちゃんの顔つきだったかもしれない。

「誰彼かまわず優しくできるほど、出来た人間じゃない」

 その言葉の意味をどんな風に捉えて良いのか、私にはわからなかった。
 及川くんに出会う前の私だったら、ただ単純に喜んで舞い上がって、だったかもしれない。ドクリ。体の中が波打つのを感じる。

「名前だからこうやって気にかけるし、話も聞いてやろうって思うんだからな?」

 だけどこれは、私に都合のいい現実だ。孝ちゃんは幼馴染だから、家族みたいなものだからって言う意味で言うんだ。わかってる。何年もそうだったんだから。でもさ、少しは期待をしたいよ。可能性を見出だしたいよ。もっと自惚れたいよ。孝ちゃんだけのことを好きでいたいよ。
 なんでそんな単純で簡単なことが私は出来ないんだろう。

「……これ、どういう意味かわかってる?」
「え、あ、うん。心配してくれてるんだよね」
「そうだけど……それだけじゃなくて、俺は」

 孝ちゃんが一瞬躊躇う。空気が変わったのがわかった。私は急に、息の仕方を忘れたみたいに胸が苦しくなった。その瞳を知っている。向けられたことがある。

「俺は一人の女の子として、名前が好きだから。だからこうやって心配する。誰よりも」

 その言葉は私が思い描いていたものより、鋭かった。嬉しいと戸惑いが混ざってその言葉をきちんと理解出来ているか自信がない。
 迷うことなどない。これは私が思い描いていた理想の瞬間。わかっている。はずなのに。

「えっと……それは、私のことを」
「好きだってこと」

 急に孝ちゃんのことが分からなくなった。あれ、孝ちゃんのことなんて何でも知ってるって思ってたはずなのに。私のことを好きなの? いつから? 私の気持ちには気がついていた? 前に言っといた好きな人がいるっているのは私のこと? つまり私たちは両思いだったの? 
 戸惑う私を見た孝ちゃんは苦笑した。

「ごめんな、急に。こんな風に伝えるつもりじゃなかったんだけど。名前に好きなやついるのも知ってるから、今のことはあんまり気にしないでくれな。今まで通りで大丈夫だから」

 待って、違う。終わらせようとしないで。私もずっと孝ちゃんが好きなんだよ。おなじなんだよ。そう言いたいのに胸が苦しい。

「わ、私もだよ」

 一瞬、頭に浮かんだ及川くんの姿を追いやった。

「私も、孝ちゃんのこと、ただの幼馴染だとは思ってない。孝ちゃんの特別な人になりたいってずっと思ってた」

 孝ちゃんは驚いてはにかんだ。私の好きな笑顔。ずっと小さい頃からあるそれ。憧れて、愛しくて、欲しかった。手放しで喜べるなら、どれほど幸せだっただろうか。

「でも今、突然ですごく戸惑ってる」
「戸惑ってますって顔に書いてるもんな」
「いったん、冷静になりたい……です」

 頭の上に優しく置かれた孝ちゃんの手のひらはずっと昔と変わらないままだ。泣きたくなるような優しさに苦しくなる。

「俺は、名前が元気でいてくれるのが一番だから。楽しそうにして、俺の名前遠くからでも聞こえるような声で呼んでくれるのが一番だから」

 すぐに「はい」と言えない自分が憎い。昔の私が今の私を見たら何してるんだばか野郎って言うだろうに。どうして人生とはこんなにも上手くいかないように出来ているのだろうか。

(16.03.03)