#27



 3年生になってから、孝ちゃんは忙しさを増したと思う。かつて強豪と呼ばれていた烏野高校バレー部は今や、墜ちた強豪飛べない烏。とまで呼ばれていたのだ。しかし、孝ちゃん曰く、1年生の入部をきっかけにかつての栄光を取り戻し始めていると言う。青城の後、ゴールデンウィークには合宿を行っていたし、朝練の回数も夜練の回数も以前より増している。
 別に寂しさはない。頑張ってるんだなと思うと、孝ちゃんが憧れた烏野へ再生を図っているんだなと思うと、むしろ嬉しい。けれど、その度に私の知らない孝ちゃんが増えていくことが少し切なかった。

「あれ、孝ちゃん。今帰り?」

 ある日の夜だった。そうだ、コンビニ行ってこよう。何の気なしに思い立って家を出ると、曲がり角で孝ちゃんと会った。この時間、部活終わりなんだろう。

「こんな遅くに出歩くなんて悪いやつだな」
「コンビニですー。孝ちゃん、欲しいものある? あるなら買ってくるよ」
「いや、いいよ。それより一人で大丈夫か?」
「コンビニだよ? 平気、平気。お父さんか。いや、お父さんでもそんな過保護に心配してくれないよ」

 すぐそこのコンビニなんだから。こんな田舎で、なにかあるわけでもあるまいし。孝ちゃんはたまに心配性だから、嬉しいけど困る。

「じゃあ気を付けていけよ」
「うん」

 家に向かう孝ちゃんの背中を見送った。遠い。ずっとあの背中を見ていた気がする。追い付きたくて、置いていかれたくなくて。可能なら、追い越してやりたかった。孝ちゃんはいま、何を思ってバレーをするんだろう。大きくなるにつれて、少しずつ、少しずつ、孝ちゃんの考えていることを知るのが難しくなった。それとも孝ちゃんが隠すことが上手になったんだろうか。
 買うものを決めずに入ったコンビニだったが、結局、適当に飲み物を買ってすぐに出た。夏に向かう風は、夜だからか、まだ少し冷たい。6月にインハイ予選があると岩泉くんが言っていた。青城も烏野も、勝ち進んでいけばいずれ対戦相手となる。
 孝ちゃんに勝ってほしい。その気持ちの裏にあるもの。もし及川くんが負けてしまったら。そしたら彼はどうするんだろう。そんな疑問が浮かび上がる。けれど、インハイは最後の試合と言うわけではないし。春高に出るなら次もあるし。
 そんな風に自分を誤魔化した。考えても仕方ないじゃんって、誤魔化せなくなるまで、誤魔化そうとしていた。


△  ▼  △


「おはよー、名前ちゃん!」

 だから、及川くんと同じクラスになったことは、私にとって吉ではなかった。嫌でも及川くんのことは視界に入るし、入る度、私は及川くんを意識していた。

「……おはよ、及川くん」
「あれ、元気ない?」

 及川くんはいつでも明るかった。それは今に始まったことではない。最初からそうだった。ニコニコとした顔をしていて、どこか掴めなくて、私はたまに思う。及川くんはどんな風に泣くのかなって。

「別に、そんな事はないけど」
「え、待って。じゃあ怒ってる?」
「どうして?」

 及川くんは少し困っていた。鞄から教科書を取り出す私の動作を見つめながら、自身の口元を指差して「だってほら、口角があがってないから」と言う。
 別に怒ってない。ただ、及川くんに良い顔をするのもまた、躊躇われるだけだ。孝ちゃんを好きと言いながら、及川くんにも良い顔をする自分が嫌になりそうだったから。しかし、それは建前のようなものだった。そうすることで、私は人として嫌な女ではないんだ、と思っていたかった。

「寝不足。昨日、録画してたドラマ観ちゃってさ」

 曖昧に笑う。及川くんは「俺もそういう時ある」と言ってくれた。及川くんに対する私の気持ちは曖昧だ。曇り空みたいにはっきりしない。いっそ及川くんを嫌いになれたらいいのに。及川くんが本当は凄く嫌なやつで、自分勝手だったら良いのに。なんて。そんな事考える自分自身が一番勝手で嫌なやつか。

「……ねー、及川くんてさ。私のこと、好きにならなくなったりしないの? 違う人を好きになったりしないの?」

 口をついて出たのはそんな疑問だった。及川くんは考えるような仕草を見せて、笑う。クラスの喧騒が遠く感じる。綺麗に整った顔だな、と思った。

「名前ちゃんには好きな人がいるから、確かに俺が君のこと好きじゃなくなったり、違う子を好きになったりしたら、丸く収まるんだと思うよ。でも難しいよね。頭でわかってても、心はとまらない。自分でも不思議だけど、足掻けば足掻くほど、好きなことを思い知らされる。……本当に好きなら、好きな人の幸せを願えって言うけどさ、そんなの無理だよね。だって俺が名前ちゃんのこと幸せにしたいもん」

 冷静に客観的に考えたら、教室で、しかも昼休みに何語っているんだって思う。でも及川くんの真剣な眼差しに、苦しいほどに理解した。恋とはそういうものである、と。頭がどんなに考えても、こうしたほうが良いって思っても、心が一致しないと駄目なのだ。上手くいかない。

「だから、答えはノーだよ」
「……そっか」

 及川くんが微笑む。それは、どうしようもないほどに優しい瞳で私は苦しかった。こんなにも自分を想ってくれる人に全力で応えられない自分が憎い。及川くんの言葉は私の胸に突き刺さる。ひとつひとつが、鋭利な優しさを持って。

「どう? 今の俺、ちょっとかっこよかったでしょ?」

 私の苦しさを溶かすように及川くんは言う。かっこいいよ、あなたは。少なくとも私はそのかっこよさに翻弄されている。孝ちゃんにはない、及川くんの良さが私の心に入り込んでいることは確かなのだ。

(16.03.13)