#28
孝ちゃんはきっと、春高まで残る。私はそう踏んでいる。受験生だからその選択が良いのかどうかは私にはわからないが、孝ちゃんはそういう人だ。だからインターハイは最後の試合ではい。だけど、最後の試合にならないにせよ、勝って欲しかった。いつだって勝ち続けて欲しかった。だって私は勝利した時の孝ちゃんの顔が好きだった。あんな風に破顔するのはバレーをしている時だけだから。
実際、烏野はトーナメントを勝ち進んで青城とぶつかった。各高校の応援の声が体育館に響くなか、私は眼下で繰り広げられる試合を、声も出さないまま見つめていた。烏野と青城の公式戦。孝ちゃんに勝ってほしい。そう願う反面、及川くんに視線が持っていかれる。それは多分、孝ちゃんがスタメンでなかったこともあったと思う。控えで応援の声を上げる孝ちゃんの姿を見つめながら思った。孝ちゃんは今、どんな気持ちでいるんだろう。孝ちゃんから、影山くんと言う天才セッターがいるという話は聞いていた。聞いていたけれど、いざ孝ちゃんが控えにいるのを見ると複雑だった。
結局、試合はフルセットの末、青城の勝利で終わった。その青城も、そのあと白鳥沢との戦いで敗戦となったのである。私はその場でどちらかと顔を合わせたくなくて、早々にして家へ戻った。二人には『おつかれさまでした』という連絡をすることにした。二人からの返事は夜までこなかったけれど、どういうわけかそれか逆に私にとってはありがたかった。
もう寝る、という口実で連絡を締めようとすると、孝ちゃんが『少し会って話がしたい』という連絡をよこした。玄関を出ると孝ちゃんが家の柵の前に立っていた。少し、緊張する。
「ごめんな、こんな時間に」
「ううん、大丈夫」
若干の気まずさを隠しつつ、笑顔で答えた。
「今日、応援ありがとな」
「……うん」
「まあ、スタメンじゃないし、負けたけど」
「ううん」
どんな言葉をかけたら良いのかわからなかった。孝ちゃんがスタメンじゃないのは私も悔しい。だけどきっと私の悔しいとは全然違う悔しさとか、他の色んな感情が孝ちゃんにはあるだろうから、私は何も言えない。
「かっこいいとこしか見せたくなかったのに、ごめんな」
「……かっこよかったよ」
孝ちゃんは苦笑しながらそう言ったけど、少なくとも私には孝ちゃんはかっこよく映った。本当は違う人みたいで寂しかった。きっとそれは良いことなんだろうけど、私の知らない孝ちゃんはいつのまにかたくさん増えていたんだなと思うと、ちょっと後悔した。なーんだ、私も深く考えずに烏野を受験しちゃえばよかったなぁ、なんて。
「俺はさ、スタメンじゃないけど、なんにも知らないやつからしたら新入生にセッターとられたダメなやつって思われてるだろうけど、うちのバレー部が勝てるのが嬉しいんだ。皆の強さに陽の目をあてられる。勝ち進める。だから、悔しいけど、俺は今の烏野の中で自分が出来ることをやりたいって思ってる」
「うん」
「名前からしたらカッコ悪いかもしんないけど、春高予選は勝つから。強いやつら倒して、全国へ行く」
意思ある瞳で、こんな芯のある言葉をいう人の、どこがカッコ悪いと言うのだろう。孝ちゃんはかっこいいよ。凄く、物凄く。それはもう、ああ、置いていかれたって泣きたくなるくらいには。
春高予選それが本当の最後。孝ちゃんと及川くん。少なくともどちらかは必ず最後の試合となる。同じ県内にいるのだから、勝ち進めばいずれはまた戦う。そして必ず勝敗はつく。
「……俺はさ」
「うん?」
孝ちゃんはおもむろに口を開く。先程とは違う、私を見つめる孝ちゃんの瞳にドクリと脈打つのを感じた。それはいわゆる『男らしさ』がそこにあるようだった。
「小さい頃から、名前のヒーローになりたいって思ってた」
「ヒーロー?」
「そ。強くなって、名前のことを守り抜くヒーロー。辛いときとか苦しいときとか、泣くときには必ず俺がそばにいてやるって子供ながらに思ってた」
それならきっと孝ちゃんはもう私のヒーローだ。ううん。ずっとヒーローだ。
「名前が誰を好きなのか知らないけど、俺はまだ、お前にとっての最高のヒーローでいたい。春高の予選も俺なりにかっこいいとこ見せたい。だから、名前には応援していてほしい」
いつも思っていた。孝ちゃんの中にある苦しみに触れてみたいなって。孝ちゃんが辛いときとか、苦しいときとか、泣くときに私がそばにいてあげたいって。でも孝ちゃんはそういうところを私には見せないようにするから、私は全然、孝ちゃんにとってのヒーローにはなれなかった。だけど、そっか。孝ちゃんは私のヒーローになるように頑張ってくれていたんだ。
孝ちゃんはいつだって私に優しい。それは苦しくて泣きたくなるくらいに。胸が痛いくらいに。それは今も、この瞬間も変わらない。
「私だって同じ事を思うよ」
「同じ事?」
「孝ちゃんにとってのヒーローになりたい」
孝ちゃんは笑った。なぜ笑う。「いつのまにかすっかり逞しくなっちゃって」なんて、茶化すように。
「もー! 真面目に!」
「てかさ、俺がヒーローなら名前はヒロインじゃないの?」
「え?」
「いやこの流れ、普通そうじゃん?」
「そう、かな?」
「約束、したろ? 俺は強くなってずっと名前のそばにいてやるって」
驚いた。孝ちゃんがその約束を覚えているなんて思ってもいなかった。私だけが勝手に大切にしている思い出だと思っていた。
孝ちゃんに好きな人がいてもいい。それが私の知らない人でも。それでも孝ちゃんは私にとってのヒーローだ。孝ちゃんが誰を好きでも私は孝ちゃんが好きだ。やはり、どんなに足掻いてもそれは、変えられない。むしろ、足掻けば足掻くほど、好きなのを思い知らされる。及川くんが言っていたように。
「なんか孝ちゃん、変わったね。前よりずっと男らしくなった。違う人みたい」
「そうか?」
「うん。なんか、本音を言うとちょっと寂しいかも」
孝ちゃんの大きな手が私の頭に置かれた。思わず孝ちゃんを見上げる。及川くんより低い位置にある顔。すぐ届く。ちょうどいい。昔は、私よりも低かったはずなのに。追い越されて、もう私はそこには届かない。
「俺は変わらないよ。名前の知ってる俺のまま。名前は前に、俺に伝えたいことがあるって言っただろ?」
「あ、うん。よく覚えてたね」
「まぁな。俺も名前に伝えたいことあるんだ」
「え、なに?」
「まだ。まだ、もうちょっと待って。でもちゃんと言うからさ」
やっぱり、大人になるにつれて、孝ちゃんの考えていることを把握するのが難しくなった。けれど、孝ちゃんのその笑みをみていると、孝ちゃんも隠すのが上手になったんだな、と思わされた。ふいに及川くんの顔が脳裏に過る。私のなかでもきちんと決着をつけねばならないのだ。それは、かつて岩泉くんが言った及川くんのために。そして、私自身のために。
(16.03.13)