#05



 この時期になると、高校受験の時を思い出す。孝ちゃんに内緒で、進路希望を青城にしたこと。孝ちゃんが何も知らないまま、一緒に合格しようね、なんて言い合ってたこと。あれから2年。私は無事に青城の生徒になれたし、孝ちゃんも第一希望の烏野でバレーをしている。私の考えていた未来。私が選んだ未来。

「さむ……」

 帰路を一人で歩いていた。この時期は夜が深まるのも早いし、19時にもなればもう完全に夜の帳は降りきっている。図書館で借りた本が入った鞄は重たいし、手袋を忘れた手は寒さで赤く染まっているし、もう早く家に帰りたいと心の中で悪態をつく。
 孝ちゃんはこんな日にもバレーをしているのかな。はぁ、と白い息を寄せた手に吐き出す。温い吐息が冷たい手を心ばかりが暖めた。家まで後、500メートル。今日の夜ご飯は何だろうな。と考えていると後ろから声をかけられた。振り向かなくたって分かる。この声は孝ちゃんだ。

「孝ちゃん!」
「今、帰り?」
「うん、そうだよ。孝ちゃんは? 部活終わるの早くない?」
「今日は体育館残れない日だったから」

 なんと。それはラッキー。思わず口角が上がってしまったことを孝ちゃんに気付かれないよう、マフラーに顔を埋めた。途端に家までの500メートルが急に短い距離に感じる。

「名前は? 確かいつももっと帰ってくるの早いだろ?」
「図書館寄ってた」

 そっか。すぐ隣で孝ちゃんが笑う。2人分の白い息か空へ空へと舞い上がる。孝ちゃんは朝も早いし、夜も遅いから、こんな風に会えることは滅多にない。コートを着てはいるけど、制服で帰れるなんてそれこそ約束でもしない限り出来ない。青城の制服はブレザーだから、学ランが余計に新鮮に感じる。

「……手袋は?」
「忘れちゃった」

 ずっとコートのポケットに手を入れていた私に孝ちゃんは問いかけた。肩を竦めて返事をすると「まったく、仕方ないやつだなぁ」と呆れ半分、優しさ半分で、孝ちゃんのはめていた手袋を渡された。

「え、いや、いいよ! これじゃあ孝ちゃんが寒いじゃん。それに家まであと少しだし」
「だからだろ。俺はもう十分温まってるから。手を赤くしてるやつが遠慮すんな。それに俺がつけてたから暖かいぞー?」

 強引に押し付けられた手袋は孝ちゃんの言うとおり暖かかった。ええい、その言葉に甘えてしまえ。孝ちゃんの手袋をはめる。それだけで幸せだと思える私は安い女だろうか。ふふふ、幸せ。なんて、こんなこと絶対に言えない。

「生き返るようです」
「だろー?」

 笑う孝ちゃんを見ながら、煮え切らない感情が沸々と湧く。もしも私が烏野を選んで、バレー部のマネージャーを希望してたら、毎日一緒に登下校していたのだろうか。そんな今更考えても仕方がないことを思ってしまったのだ。孝ちゃんは烏野に私が居ないことを寂しいと思ってくれているかな。少しでも寂しいと思ってくれたなら、嬉しいのだけど。

「青城ではうまくやってんの」
「高2でそれ聞く? うまくやってるよ。それなりに」
「なんだよ、それなりって」
「可もなく不可もなくって感じだから。孝ちゃんは烏野どう? バレーの調子とか」
「まあ、悪くはないかな」
「なんだ、私とそんなに変わらないじゃん」
「そうかもな」

 着々と迫る家までの距離。こんな実のない会話が出来るのも幼馴染みだからだろうか。まあ、私は孝ちゃんと話が出来るだけで幸せなんだけど。

「私も部活入れば良かったなー。バレー部のマネージャーとか。そしたら試合もっと間近で観れるのに。あ、でもそうなると烏野の応援出来ないのか……」
「本当に名前は俺のこと好きだなー」

 孝ちゃんのからかう声色に一瞬ドキリとした。孝ちゃんがそんなつもりで言ってるわけではないと分かっているけれど、私にとってこういう風なからかわれ方は心臓に悪い。それでも平然を装って返事をする。

「……だって、こんなに長い間一緒にいるんだよ。嫌いになれるわけないじゃん」
「まあ、そうだなぁ」

 孝ちゃんを見上げる。私からすれば背が高いけれど、バレー選手としては小さい孝ちゃん。ごめんね、見上げる私は、この距離が好きだ。隣に並ぶ孝ちゃんの手を握ることは簡単に出来るだろう。だけど、孝ちゃんの心を掴むのはまだ、私には出来る気がしなかった。それは多分、幼馴染みという関係が崩れてしまうことを心のどこかで恐れているからなんだと思う。

(15.10.21)