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サブレ夫人は言った。
『人はある恋を隠すこともできなければ、ない恋を装うこともできない』と。




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 第一印象はあまり覚えていない。あまり女の子に興味があるわけではないというのもあるのかもしれない。高校の入学式の日、隣に座ろうとした名前は赤葦にとってどこにでもいるような女子高生の一人だった。華美な服装でも、派手な髪色でも、人目を引くメイクをしているわけでもない。そんな女の子が赤葦にとって一生忘れられない存在になるとは、この時の赤葦はもちろん夢にも思わなかった。
 だから赤葦はまさかこの時名前が恋に落ちていたことも知ることはなかったし、その相手が自分だとは思うことはなかった。しかし、彼女の恋心が赤葦に伝わったのはそれからすぐの事だったのである。

「⋯⋯赤葦くん!」
「何?」
「きゅ、急に呼び出してごめんね⋯⋯!」

 余りにもそれっぽい雰囲気を惜しみ無く出してくる様子に、さすがの赤葦も呼び出された理由を悟った。放課後の人目のない空き教室。繰り返す深呼吸。緊張に固まった表情。赤くなった耳。それらが何を意味しているのか分からないほど赤葦はもう子供でもない。しかし、だからといってこの場を上手く切り抜けられるほど大人でもなかった。

「あの、私一目見たときから赤葦くんのことが好きです! 大好きです! 夜も眠れないほどです! 付き合ってください! 絶対幸せにします!」

 とてつもない愛の告白に赤葦は少し引いた。告白と言うものに慣れているわけでも詳しくもないが、これはかなり特殊な台詞なのではないだろうかと赤葦は思いながら赤葦はきっぱりと言う。

「ありがとう。けど、ごめん。名字さんのことまだよく知らないし、それに部活に集中したいから付き合うのは難しいかな。けどそんなに好きになってくれてありが――」

 赤葦の言葉を名前は真っ直ぐな視線を向けて聞いていた。先ほどの態度が嘘のように動揺することもなく、青い顔をすることもなく。それはむしろ赤葦にとって居心地が悪いものだった。本音とは言えそれらしい断りの文句を並べられて傷付かない人間はいないだろうと思っていたのだ。しかし、それこそが間違いだったのである。赤葦は名前を甘くみていたのだ。赤葦の言葉を遮って名前は言う。

「私のことを知れば好きになってくれますか」
「えっ?」
「私、私男子バレー部のマネージャーとして入部届けだしたの。だから、そういう活動に対して理解は出来るから文句は言わない。私、どうしても赤葦くんに好きになってもらいたい。私のこと知ってほしい。私、諦めません! 諦められません!」

 赤葦は呆然と口を開けて、意気込んだ名前の言葉を聞くしか出来なかった。その強気の姿勢になんと反応を示したら良いのかと赤葦は顔に出さずに戸惑う。

「⋯⋯い、いや、俺は――」
「はっ! ごめん行かなくちゃ! 先輩のマネージャーさん達のところに行かなくちゃいけないから!」

 制止しようとする赤葦の言葉も空しく、名前はスカートを翻しながら去っていったのであった。まじかよ、と赤葦がぼやく。まるで竜巻だと。

「⋯⋯強烈だった⋯⋯」

 その時のことは1年経った今でも忘れることはない。ニコニコとつけたくなるほど楽しそうな顔で自分を見てくる名前に、赤葦は渡されたドリンクを一口飲んでから口を開いた。

「そんなに見られると困るんだけど」
「えー! ごめん、赤葦くんのことは何時間でも見てられるからつい⋯⋯」
「お前のそういうとこホント怖いよな⋯⋯」

 あの木兎でさえも名前の赤葦への愛情に引くことがある。

「名前、次の仕事あるからきてきて〜」
「はい! 今行きます!」

 不純にまみれたマネージャー志望であったが、不純が故に名前はどんなこともひとつ返事で引き受けることが出来た。1年前まではバレーボールのバの字も知らないような人間だったのに、今となってはスコアの書き方だって試合のルールだって攻撃や守備の方法だって、マニュアルが息して歩いていると言っても過言ではないほど詳しくなっている。

「あいつ本当元気過ぎて落ち込むとこ想像できねーわ」
「黙ってればそれなりに良いんだけどな。口開くとな⋯⋯」
「だな」

 各々が好きに言っていることを名前は知らない。赤葦は先輩たちの言葉に確かに、とは思った。確かに、もう少し落ち着いてくれたら良いのにと。けれどまあ名前のそういうところは素直に凄いし、自分の為に頑張る様子は見ていて嫌ではないと赤葦は思う。思うが、口に出すと舞い上がらせるだけなので言うことはしなかった。

「名字がしおらしくなったらそれはそれで怖いですけどね」
「確かに」
「⋯⋯で、肝心の赤葦は名前のことどう思ってんの?」

 楽しそうに木葉が聞く。修学旅行の夜か、と言いたくもなったが赤葦は遠くで楽しそうに談笑している名前を見つめた。

「さあ、どうですかね」
「またまた。嫌いではないだろ?」

 それはもちろん。嫌いではない。ただ、好きかどうかと聞かれれば素直に頷くこともできない。そのくせ、名前が自分への興味を無くしたらそれはそれで寂しいと思うのだ。女心同様、男心もまた複雑なのである。

「まあ、嫌いではないです」
「なんだよ、なら好きなのか?」

 木兎の純真無垢な瞳を受けて赤葦は言った。

「秘密です」

 遠く離れた名前はまだ赤葦の心を知ることはない。複雑な男心と揺れる赤葦の気持ち。赤葦の苦悩も名前の猛烈アピールもまだ終わることはない。

(17.05.28)


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