eyes



 ココ・シャネルは言った。
『どこへ出かけるときでも、おしゃれをしたり化粧したりするのを忘れないようにね。最良の人にいつどこで逢うかわからないから』と。



♂ ♀


 名前が赤葦に恋をして変わったと自覚することがあるとするなら、ふらりと立ち寄った書店でつい『愛され女子テクニック』『可愛いをつくるモテ術』『タイプ別!男の子のホンネ』なんかの煽り文句を見つけてしまうようになったことだろう。どこまで信憑性があるのか定かではないけれど、恋する乙女はそんな細やかなものにも手を伸ばす生き物である。

(赤葦くんも当てはめられるかな⋯⋯)

 雑誌を吟味する顔は、授業中の顔付きより真剣だ。これを実践して赤葦くんが私を好きになってくれるなら⋯⋯! と名前の妄想は膨らむ。

「名字?」
「⋯⋯あ、あか、赤葦くん⋯⋯!」

 学校の最寄りの大型書店。梟谷の生徒も頻繁に訪れるこの店で、たまたまタイミング良く出会ったこの瞬間を奇跡と呼ぶには大げさだが、名前には赤葦に声をかけられた瞬間、奇跡だ。神が舞い降りた。とすら思える出来事だった。

「買い物?」
「うん! ペンの替えを買いに来たんだけどついでに雑誌もチェックしようかなーって」
「へえ、名字はそういうの読むんだ」

 名前が手に持った雑誌を見つめながら赤葦が言う。堂々と書かれた『好きなコをキュンとさせる10の方法』というワードについ笑ってしまいそうになる。

「た、たまにだけどね!」

 妙な恥ずかしさが募って手にした雑誌を戻す。何を今さら取り繕うことがあるのだろうと赤葦は思うが、名前も人並みの羞恥心があるのだと安心する気持ちのほうが大きかった。

「それより、赤葦くんはもう家帰るの? それともどこか行くの?」
「一応帰るつもりだけど。なんで?」
「一緒に帰りたくて。デートしましょう。帰り道デート」

 なぜそういうところは羞恥心が募らないのだろうかと赤葦は疑問に思うが、期待を込められた瞳を一蹴するほど赤葦は冷たい男ではない。

「⋯⋯会計してくるから待ってて」
「うん!」

 その嬉々とした様子に見えない尻尾さえも見える。これは帰り道デートではなく犬の散歩と言って過言でない。10の鞭があろうとも1の飴で彼女はどこまでも生き延びることが出来るのではないだろうか。そう思うと赤葦は、もはや名前の忠実な恋心を不憫にすら感じられるのであった。

「そう言えば名字、今日はいつもと雰囲気違う感じするけど」
「えっ、わかる?」

 書店を出た後バス停までの道のりを並んで歩く。頭一つ分は離れている身長差。赤葦から名前の頭頂部は丸見えだ。学校に居るときとは違う髪の結び方やいつもよりしていることがはっきりと分かるメイクを見て、これだけでも雰囲気は変わるものだなと赤葦は密かに感心していた。

「いつ赤葦くんと会っても大丈夫なように! ⋯⋯って言ってもこれまで全然会えなかったし適当な服装で出掛けた時に限って先輩に会ったりするし、私そう言う類いの運はないのかなぁって思ってたんだけどこれまでのことは今日この日のためにあったんだね⋯⋯!」
「へ、へえ⋯⋯」

 行動基準が自分の想像を越えていたことに多少戸惑いもしたが、これまでの彼女を考えると納得だと赤葦は顔には出さずに返事をした。そんなまぐれを引き当てるために頑張ることは疲れないのだろうか。自分でいうのもアレだけど、嫌にならないのだろうか。彼女の求めている返事は1度だってあげることはできていないのに。なのにいつもこんなに一生懸命に真っ正面からぶつかってくる。
 バス停まで残り数十メートルを切ろうというところで赤葦はつい、思った疑問を投げ掛けてしまった。
 
「名字はさ、なんでそんな一生懸命なの?」

 立ち止まる赤葦と、それに気がついた名前が数歩先で赤葦を振り返る。その二人の間を彼らが乗るべきバスが通りすぎて行ったのを二人は気が付かないままだ。赤葦の言葉の意味を名前は瞬きを繰り返して考える。並んだ客を乗せ、バスが走り出した後名前が口を開いた。

「えっと⋯⋯好きだから?」
「名字は好きでそこまで出来るんだ。凄いな」
「赤葦くんだってバレーのためにたくさん時間を割いたりするでしょ? 好きのパワーって凄いんだよ〜。友達からはめんどくさそうって思われがちなんだけどね。でも私、赤葦を一目見てから世界が色めいて花咲いて毎日学校行くのが楽しくて楽しくて、会えるのが嬉しくて嬉しくてね。だからつい一生懸命にいろんなことしたくなっちゃうんだよね」

 屈託のない笑みを見せて名前が笑う。この子はきっと、これから先もどんなことがあってもブレないんだろうなあと赤葦はふと笑ってしまいそうになった。こういうところが一緒にいて楽だと思えるんだろな、と。裏表がなくて正攻法しか出来ないようなところは分かりやすくて心配にもなるけれど。

「赤葦くんみたいなタイプは落とすには根気がいるらしいから長期戦も覚悟してるよ!」

 太陽の光が名前の黒い髪に反射する。眩しいと赤葦は少し目を細目ながら言う。先程よりか小さめの声で。

「⋯⋯そっか。それならこれからも俺のために頑張り続けて」

 その横を二人が乗るバスが再度やってくる。赤葦の声が名前に届くには、バスのエンジン音が大きすぎた。「え? ごめん、いまなんて?」と聞き返す名前を追い越し、今度は赤葦が名前の方を振り返りながら言う。

「なんでもない。バス来たから早く行くよ、名字」

 小走りで駆け寄る名前をほほえましげに微笑ましげに赤葦は見つめていた。

(17.05.28)


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