Rigil Kentaurus



 年に数回ある出張。行き先はいつも同じで東京本社だ。いつものように新幹線に乗ってウトウトするといつの間にか東京駅に着いている。2泊3日の出張には、小さな紺色のキャリーケースを使う。初めて出張を命じられたときに奮発して買った有名ブランドのものだ。
 東京の空気を吸った。当たり前だけれど人の多さにはいつも驚かされる。地下鉄に乗り換えてホテルの最寄り駅に向かう。知らない人たちが携帯を触ったり、新聞を読んだりしている。この時間帯、この線は比較的空いているらしい。スーツケースが転がらないようにしっかりと押さえながら、車内にぶら下がる広告を見つめていた。東京バナナの広告を見つけて、私はお土産を頼まれていたことを思い出す。
 東京には1人、親友と呼べるほど仲の良い友人がいる。出張でこっちに来るときは毎回連絡をして1度はご飯へ行くようにしていた。今回も例外ではなくて、新幹線の中で送った連絡が今になって返ってくる。

『おつかれ。そしたら明日の夜はどう?』
『ごめん、明日の夜は会食ある……行きたくないけど行かなくちゃいけないやつ……』
『ドンマイ。そしたらどうしよっかな〜。あ、今日の夜空いてる?』
『今日なら大丈夫!』
『合コン来ない?』
「え?」

 友人の誘いについうっかり声を漏らしてしまう。慌てて口を閉じて文章を見返した。合コンって。まじか。

『いやいやいや』
『今日1人足りなくなっちゃって。あれから彼氏もいないし良いじゃん!終わった後に二人で飲みなおそう』

 連続で打たれたハートマークを見つめる。一応私、出張で東京来てるんですけど。追うように連絡が入り『ちなみに相手は大手メーカー勤務の人たちでーす』と情報を得た。そそられるポイントはなかった。だけど、くすぶる恋を過去にするためにはこういう時躊躇ってはいけないと悟るようになってきた。
 少し迷って、少し過去を思い出して、私は返事をした。

『いいよ。行く』


☆   ★   ☆


 3対3の合コンは、私がしてきた今までの合コンの中ではまともな方だった。
 仕事を終えてホテルに戻り慌てて私服に着替えて言われた待ち合わせ場所に行く。もう1人の女の子も高校の同級生で1度もクラスは一緒になったことはなかったけれど、お互い名前と顔は一致するような程度だったからそれほど問題もなかった。

「そっか、じゃあ名字さんは仙台在住なんだ」
「そうそう。年に数回出張でこっちに来たりはするんだけど」
「異動は?」
「基本的にはないかな。希望する人は異動出来るみたいだけど」

 久しぶりに知らない男の人とこんなに話している。愛想よく笑って話を引き出そうとしてくれるこの人は多分、悪い人ではないのだろう。爽やかそうにみえるし、お金もそれなりにあって、仕事もそつなくこなして、こういう人に恋をしたら一般的な喧嘩はあるかもしれないけれど、幸せな恋愛ってものが出来るのだろう。泣かない恋になるかどうかはまだ分からないけれど。
 その日、この男性と一番話が盛り上がった気がする。けれど連絡先を聞かて私は一瞬だけ躊躇った。それでもにこりと笑みを作って「いいよ」と言った私は社会人として間違っていないはずだ。

「またこっち来たら連絡してよ。俺も仙台行くことがあったら連絡するし。今度はゆっくり二人で話したい」
「あー……はは、うん」

 曖昧に笑う。悪い人ではない。嫌いなタイプでもない。でも、魅力を感じない。揺さぶられない。心になにも降り注がない。
 そのあとは友人とした約束を果たすため近場のバーに寄った。明日も朝から仕事だからとウーロン茶を頼む。カウンターで横並びになりながら、友人は赤らむ頬でニヤニヤしながら私を見ていた。

「……なに」
「いや、いい感じだったなぁって」
「そっちもじゃん。連絡先交換してたし」
「あたしのは社交辞令みたいなもんだよ。とりあえず交換しとかないと失礼だから、みたいな」
「そんなの言ったら私のも一緒」
「でもあの人名前のこと気に入ってたじゃん。端から見ても分かるもん」
「……別に、そんな」

 もともとそんなにお酒は飲んでなかったから酔いなんてなくて、頭は冷静だ。

「名前的には微妙だった?」
「微妙、っていうか、惹かれなかった。いい人そうだし、話してて楽しくなかったわけじゃないけど、ただ」
「ただ?」

 ただ、なんだろう。ただ、忘れられない人がいる? ただ、捨てられない恋がある? 答えられなくて私は黙ってしまった。私と瀬見くんの間に何か特別なことがあったわけじゃない。公園で会って話をして、1度だけ海に行っただけ。なのにどうして今日になっても私はあの日々を忘れられないんだろう。笑う顔を、呼ばれる名前を、見上げた視線にある耳たぶを、どうして今もまだ思い出してしまうんだろう。

「……好きな人がいたの。凄く淡い恋だった。焦がれる恋じゃなかった。なのに、その人のことが今でも忘れられない。過ごせた時間を過去に出来ない」

 心の内を露呈すると友人は柔らかく微笑んだ。赤らむ頬のままで。

「まるで初恋みたいだね」

 その言葉にまた瀬見くんの顔を思い出す。

「初恋は特別って言うじゃない? きっと名前にとってはその人が特別なんだよ。特別な恋だったから淡くても忘れられないし過去に出来ない。でも良いんじゃないかな、無理に忘れようとしなくても。忘れたくても忘れられないことってあるし、今は過去出来なくても時間が経ったら勝手に過去になっちゃうかもしれない」

 そうなのだろうか。いや、そうなんだろうな。恋多き友人が言う台詞には妙な説得力があった。この空の下、東京という土地のどこかに瀬見くんはいる。彼が私への気持ちをもう過去にしたのかは分からないけれど、確かに恋があったことは事実なのだ。それだけは変わらぬ事実なのだ。


☆   ★   ☆


 2泊3日の出張を無事に終え、東京駅から新幹線に乗り込んだ私はグリーン車を謳歌していた。友達にも会えたし、仕事も上手く行ったし、今日からゴールデンウィークが始まるし、気分は上昇だ。気分が良いから新幹線の中でビールを買って飲んだ。もはやおじさんだ。
 行きと同じようにウトウトしていれば東京から仙台なんてあっという間に着く。仙台駅に到着するというアナウンスを聞いて席を立ち上がった。スーツケースを引きながらドアの前に立つ。揺れることなく止まった新幹線のドアが開いてホームに降り立った。ゴールデンウィーク初日と言うだけあっていつもよりも人が多い気がする。人の流れに巻かれるように階段を降りて、在来線に乗り換える改札を通る。

「っと、すいません」
「あ、いえ。こちらこ、そ」

 後ろから肩に人がぶつかる。その人は振り向いて私に謝罪した。条件反射のように「こちらこそ」なんて言う私は今、驚きでいっぱいだった。

「……名前さん」
「せ、瀬見くん……」

 だって、過去に出来ない泣けない恋が、目の前にいたのだから。

(17.10.22)