Fomalhaut



「え、なん、なんでここに?」
「帰省です。ゴールデンウィーク帰って来いって親がうるさくて。名前さんはどうして? スーツ姿初めて見るから一瞬わからなかったです」
「出張でさっきまで東京行って仕事してて」

 内心ドキドキしている私とは対照的に、瀬見くんはいつものように平然としている。あの告白も、連絡のとらなかった期間も全部嘘のようだ。嘘のようにいつも通り過ぎて私はちょっとだけ悲しくなった。
 ああ、やっぱりもう瀬見くんの中では私は過去の人間なんだなあ。そう思うと寂しくてやりきれない気もしたけれど、瀬見くんが過去にするのなら私もきちんと過去にしなくてはいけないと思い知らされて、今の私にはかえって良かったのかもしれない。

「えっと、大学はどう?」
「それなりに慣れてきました。東京にはまだ慣れないですけど」

 茶目っ気を見せるように瀬見くんが笑う。心なしか、少し性格が丸くなったような気がする。元々尖ってる性格ではなかったし、社交的ではあると思ったけどより顕著になった気がした。

「そっか。なら良かった。東京にもきっとすぐ慣れるよ」

 久しぶりに会ったらもっと動揺すると思ってたのに、それでも私も平然を装って会話することが出来ていた。

「名前さんも元気そうで良かったです」

 うん、と答える。繋ぎ止める何かを探そうとするけれど、なにも見つからない。このままさようならするのは勿体ないと、いつか瀬見くんが言っていた言葉を思い出す。だけど繋ぎ止める術を持たない私は、沈黙が訪れた後に「じゃあ、俺こっちなんで」と私の乗る電車が来るホームとは違う方向に行こうとする瀬見くんを止められないままでいる。
 待って、が言えない。私が言って良いのかもわからない。でもこのままで良いのだろうか。このままなにも伝えずに過去にして、いつかまた偶然に出会って何もなかったかのように笑う。それで本当に良いのだろうか。瀬見くんが過去にしたのならもう掘り返すこともないと私の中で囁きが生まれる。でもこのままさよならしたくないと違う私が言う。
 立ちすくんだままの私の横を、他人が往来する。足が前にも後ろにも進まない。ただ瀬見くんの姿だけが見えなくなって、私は大きく深呼吸を繰り返した。
 行こう。私はスーツケースを引きながら少し早足で瀬見くんの向かうホームへ急ぐ。まだ、来ないで電車。階段を降りるには不向きなパンプスが今は憎い。私も過去にするから。忘れられなくても過去にするから。泣かない恋を探すから。だから、せめて聞いて。伝えさせて。私も恋をしていたと。

「瀬見くん!」

 新幹線のホームと比べると人がほとんどいないホームで、瀬見くんを見つけることは容易いことだった。私の声にこちらを向いた彼は驚いた顔で言う。

「ど、どうたんですかそんな慌てて、何かありましたか?」
「ありました」
「え?」

 深呼吸をして息を整える。すっと真っ直ぐに瀬見くんを見上げる。見上げると、ああやっばり、と思う。やっぱり惹かれる何かがあるなあと。心に勝手に降り注ぐ何かがあるなあと。そう実感すると胸の内がじんわりと熱くなって年甲斐もなく泣きそうになった。

「忘れ物したから。だから、聞いて」

 それでも私は泣かない。大人だから。格好つけたいから。
 ハッとした顔で瀬見くんが私を見つめる。

「私、瀬見くんに恋したよ。きっと今も恋してるし、もっと好きになれると思う。でも、瀬見くんはあの時の恋を過去にしたから、私もちゃんと過去にしようと思うの。だからこんなの大人として格好悪いんだけどね、聞いてほしい」

 ぐっと拳を強く握ったまま、私は続ける。

「私は瀬見くんの優しさに救われた。好青年だなと思ったの。若いのに素敵な子だなって。でも年下だし、高校生だし恋愛対象とは思っていなかった。接点もないのに、瀬見くんは気が付いたら私の日常の一部にいて、恋愛対象外って思ってたくせに、いつの間にか好きにならないようにしないとって考えてた」

 瀬見くんは何も言わないまま、私を瞳に映していた。

「海に行った帰りに、瀬見くんは私に言ったよね。私のこときっと好きですって。私も同じだった。瀬見くんのことがきっと好きで、そしてこれからも会えばもっと好きになってしまうって。生きてきた年数も、場所も違うけどそれだけは同じだと思った。……だけどそれが言えなかった。淡い恋だから。過去に出来る『好き』だと思ったから。なのに、おかしいよね。あれからずっと瀬見くんのことを考えちゃってた。何してるのかなって。元気かなって。でも、連絡をする勇気もなかった」

 私は1度うつむいた。こんな剥き出しの感情を今さらになって伝えられて迷惑に思ってないといいけど。
 再度顔を上げて瀬見くんを見つめようとするけど、急にそれが怖くなって私は彼の胸元の辺りを見ながら続けた。

「友達に言われた。特別なんだねって。まるで初恋みたいに特別な人なんだねって。会った回数も時間も、多いわけじゃないと思う。思い出は数えきれるくらいだとも思う。でも、瀬見くんは私の特別だった。これは私にとって特別な恋だった」

 深呼吸をして、覚悟を決めて、私は瀬見くんを見つめた。

「瀬見くん」
「は、い」
「優しくしてくれてありがとう。好きと言ってくれてありがとう。瀬見くんが過去にした恋をいつまでも私だけが持ってるわけにもいかないもんね」

 過去にする。過去になる。特別な恋でも、忘れられない恋でも。過去にして、次へ進む。

「また会えて良かったよ。伝えられたことも。これでようやく過去に出来そうな気がする」
「名前、さん」
「素敵な大人になって、素敵な恋をしてね。……こんなの私に言われなくてもって感じだと思うけど」

 じゃあ、と間髪いれずに私は手を降る。じゃあ、行くねと。電車が来ちゃうから、と。私はまた少し泣きそうになった。恋を手放すのだから、それくらい許してほしい。私は踵を返して来た道を戻った。
 器を傾けて、少しずつ溢そう。全部溢れて無くなったときに振り返って、こんな特別な恋もあったなと笑える日が来るように。

(17.10.22)