one


 やってきた冬は思いの外寒くて、私はこの間から狙っていたマフラーをすぐさま買いに行った。
 兵庫で過ごす冬はこれで2度目になる。

「名前、入口閉めてきてくれる?」
「はーい」

 つまりそれは、兄が始めたカフェを手伝うようになって2年が経ったと言うことであり、それと同時に女手ひとつで育ててくれた母が亡くなって3年経ったことも意味する。
 私は言われた通りお店の前に置かれた立て掛けの看板や諸々を店内に入れて閉店の準備を進めていた。

「閉店しましたか?」

 冬の夜に溶けてゆくような声に、手を止める。ダッフルコートにマフラーを巻いた男の子の息は白く舞い上がっていた。

「あー、えっと、すみません⋯⋯」

 年齢は私と同じくらいだろうか。赤らむ頬が印象を少し幼くさせていた。私がそう言うと困ったように眉尻を下げて言う。

「店の中に忘れ物ありませんか?」
「え?」
「昨日ここに来たとき紙袋忘れたと思うんですけど、ありますか? これくらいの、チェック柄のやと思うんですけど」

 そう言えば、忘れ物があるから持ち主が取りに来たら渡してくれと兄に言われた気がする。それを思い出した私は「少々お待ち下さい」と言って慌てて店内に戻った。

「お兄ちゃん。紙袋の忘れ物あったって言ってたよね? 持ち主の人取りに来たよ!」
「お、まじか。プレゼントっぽかったもんな。ほれ、これ」

 兄はカウンターの向こうから大事そうにそれを私に渡す。
 兄の言うように、紙袋の隙間から見えた中身は可愛いらしいラッピング袋に包まれていた。今日は聖夜だ。多分、彼女にでも渡すクリスマスプレゼントなのだろう。そう思うと早く渡してあげなければならないと、私は小走りで再度外へ出た。相変わらず冷たい外気に、私は思わず身震いする。
 
「お客様。お待たせしました。こちらでお間違いないですか?」
「そうです。これです。良かった、クリスマスに間に合います。ありがとうございます」

 見上げた先にあったのは安堵した様子の顔だった。やっぱり彼女なのかな。そう思うと聖夜に身内のカフェを手伝っている自分が少しばかり虚しくなる。

「ちゃんと持ち主の元に戻って良かったです」
「また、来ます」
「あっはい。またお待ちしております」

 少なくとも、私が働いている時に彼は来たことはない気がする。そうなるとまた会うことはないかもしれないけれど、私は営業用のスマイルでそう言った。


 けれどその予想は見事に外れた。年が明けてしばらくしてから、私はそんな出来事があったことすら忘れてしまっていて、いつものようにお店を手伝っていると彼がやってきたのだ。

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「1人です」

 そしていつものように席へ案内して、いつものように注文をとり、いつものように出来上った品をテーブルへ運んだ。

「⋯⋯プレゼント、間に合いましたか?」

 いつもはしない声かけをしたのは、多分、店内のお客が他に1組しかいなかったという理由もあったかもしれない。
 私の言葉に少しばかり驚いた顔をして彼を見て、私は慌てて付け足した。

「あ、いや、去年のクリスマスにプレゼントを当店にお忘れになりましたよね? それで、時間も遅かったのでちゃんとお渡しできたかなぁと思いまして⋯⋯。すいません、踏み込んだ質問になってしまっていたら無視してください」
「⋯⋯いえ。いえ、大丈夫です。あの日はちゃんと間に合いました。閉店間際やったのに、ありがとうございました。おかけでプレゼント相手も喜んではりました」
「良かったです。彼女さんが喜んでくれて」
「彼女?」

 私がそう言うと彼は表情を変えぬまま、少し首を傾げた。

「あ、いえ、クリスマスだしてっきり彼女さんへの贈り物なのかなぁと思って⋯⋯」
「祖母です」
「え?」
「祖母へのプレゼントやったんです、あれ」
「ご、ごめんなさい。私勝手に決めつけてしまって」
「クリスマスやし、そう思うんが普通やろうし、気にせんで下さい」

 家族思いの人なのかな。私も兄の誕生日にプレゼントをあげることはあってもクリスマスまでは渡したりしない。まあ、身内に限っては貰えるものは貰うけど。

「お孫さんからのプレゼントなら、きっとお婆様とても喜んだでしょうね。あの日、間に合って本当に良かったです。少し遅かったらお店閉めて誰もいなかったと思うので」

 すると彼は私の顔をじっと見て何か言おうと口を開いた。その時、もう1組のお客様が「すみません」と声をあげたので、私は慌ててそちらへ向かう。結局、彼が私に何を言うつもりだったのか知らないままだ。

「長々とすみません。ごゆっくりおくつろぎ下さいね」

 そう彼に言い残し踵を返す。
 このときはまだ、彼の名前すら知らなかった。年齢も、学校も、部活も、何も知らない私達だった。
 だけどこれが私と彼の始まりだった。

(18.06.20)
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