two



 私がカフェを手伝う頻度を増やすようになってから、必然的に彼と会うこともまた増えるようになった。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか? ご案内しますね」
 
 彼は大抵土曜日の夜に来ることが多くて、私は空いていればいつも窓際の席を案内していた。注文はコーヒーとかカフェオレとか軽食だとか決まった内容ではなかったけれど、彼は席に着いて直ぐに鞄から勉強道具を取りだし勉強を始めた。
 このカフェに来る目的は勉強のためであると言うことに私は気がついたのは、その動作を三回連続で見たときだ。この周りのカフェは長時間の勉強を禁止しているところも多かったけれど、落ち着ける場所とくつろげる空間を提供したいという兄の希望から、そういう理由でやってくるお客様を煙たがるような真似はしない。

「コーヒーとサンドイッチお願いします」
「かしこまりました」

 広げられた教科書を見て、私と同じ年だということも知った。使っている教科書が同じだ。
  
「こちら、当店からのサービスです」
「え?」

 黙々と机に向かう彼に、兄からの差し入れ。次の季節限定メニューにと、試作で作っているケーキだ。兄は時折、顔馴染みのお客様に試作品を提供する。

「あっ。甘いもの平気ですか?」
「平気です」
「良かった。次の限定メニューの予定なのでもし宜しかったら味のご感想伝えてくれると嬉しいです」

 彼はお礼の言葉と共に頭を下げた。
 私は彼の背中がお気に入りで、そんな事を言うと何を言っていんだと思われるかもしれないが、彼の背筋はいつもしゃんとしていて、その姿勢の良さを後ろから見るのが私は細やかな楽しみなのだ。

「ごゆっくりどうぞ」

 それから暫くして、窓に水滴がつくようになる。最初はポツリポツリと気にならない程度だったが、30分もしないうちに雨音がはっきりとわかるようになった。
 雨宿りも兼ねているのだろう。店内にお客様が増えて忙しさをさが増す。

「結構降ってるみたいやね。これから少し落ち着くけど明日の朝までは降り続くみたい。かなわんなぁ」

 教えるように言ってくれたのは、スーツが良く似合ういかにもビジネスウーマンと言うような、魅力的な女性の常連のお客様だった。

「そう言えば朝の天気予報で降るかもって言っていたような気がします」
「降るなら降るっちゅー言い切ってくれへんと」
「降水確率30パーセントはちょっと微妙ですもんね。傘、無ければお店のお貸ししましょうか?」
「アタシは自分の折り畳みあるからええわ。こないだセールで衝動買いしてもうたんよ。ようやく使えるわ」
「そういうのがあると雨の日がちょっと楽しくなって良いですよね」

 彼女はお会計を済ませると、鞄の中から言っていた折り畳み傘を取り出してお店の外に消えていった。
 そう言えば、彼はここに来たときに傘を持っていなかったような気がする。と店の入口に置かれた小さな傘立てを見つめた。後から入ってきたお客様の傘は立てられているけど、それまではただの置物になっていたはずだと、私は窓の外を見つめていた彼の元に向かう。

「お客様」
「え? すみません、何かありましたか?」
「いえ、お客様が入店されたとき傘は持っていなかったと思いまして。雨は降り続くようなので、もし傘が無ければ当店の傘をお貸しできますのてお気軽にお声かけください」

 私はまた営業用の笑みで言う。

「せやったら、借りてもええですか?」
「勿論です」
「そろそろ帰らなと思てたんですけど、傘もなくて困ってたんです。助かります」
「気になさらないでください。今傘お持ちしますね」

 勉強道具をしまった彼はレジの前で会計を済ませる。同時に傘を手渡すと、踵を返した彼が思い出したようにこちらを振り向いた。

「それとケーキ、旨かったです。ほんまにありがとうございました。傘、次の時に返しますんで」

 その時、彼が柔らかく微笑んだ。あ、この人、こんな風に笑ったりするんだと私は一瞬惚けてしまい次の言葉を見失った。

「ご馳走さまです」

 そうして彼もまた、雨が降る夜の外に消えていったのだった。
 通っている学校も知らない。家の場所も。もちろん、名前だって。彼と私はお客と店員と言う関係で、それ以外のことを知ることはきっとないんだろうと思っていたある日、私はようやく知ったのだ。
 灯台もと暗しとはまさにこのこと。彼、北信介くんは私と同じ学校に通う稲荷崎高校の生徒だったということを。

(18.06.20)
priv - back - next