I promise you


 シワ一つないスーツが信介くんらしいと思った。ネクタイの形を整えながら鏡を見つめる信介くんの背中に視線を向ける。大学生のときに何度かスーツを着ているのを見たことはあったけれど久しぶりに見ると新鮮で、これからの自分たちの予定も相まって私はちょっとだけドキドキした。
 また1つ社会に生きる大人に近づいたような、微かに残る子供らしさが萎んでいくようなそんな不思議な感覚。

「スーツかっこいいね」
「似合うとる?」
「うん、凄く」
「名前もかわええよ」

 鏡越しに目があって微笑みあった。

「お兄ちゃんだけだし初対面ってわけでもないから、わざわざスーツじゃなくても良かったのに」
「こういうのはきちんとせなあかんやろ。知った顔とか相手が誰とかやなくて、俺らのためにも」
「そっか」

 それくらい信介くんが今日という日を大事に思ってくれているんだと思うと私はやっぱり嬉しかった。気恥ずかしさも募るけれど、期待や喜びがそれを大きく上回る。
 家族に結婚の許しをもらう。家族になる上で避けては通れないであろう道を歩むことになるとは、高校生の頃の私は想像もつかなかった。そしてその相手がクリスマスに忘れ物を取りに来た信介くんだということをあの時の私が知ったらきっと信じてすらもらえない。
 それでも私達はあの日から少しずつ、着実にいろんなものを積み上げてきた。

「あかん。緊張してきたわ」
「信介くんも緊張するの⋯⋯?」
「そら俺も人間やし」
「全然そんな感じしてないよ」
「顔に出さんようにしとる」
「じゃあ今、心臓ドキドキ?」
「おん」

 少し困ったような笑みを見せる信介くんの手を握る。手を取り、並び合い、これからの未来を共に生きていく。想像した時にひどく馴染む形が愛しい。

「こればっかりは毎日の繰り返しやないしな。初めて顔合わせるわけやないけど、結婚の挨拶は最初で最後のもんやし」

 お兄ちゃんが反対することは絶対にないだろう。事実、信介くんと共に行くと言ったときお兄ちゃんの声色は嬉しそうだった。
 私を大切に育ててくれたお兄ちゃんのことを信介くんは大切にしてくれる。そんな素敵な人と家族になれる。それはこれまでの人生においてこの上ない喜びと思えた。

「信介くんなら⋯⋯ううん、私達なら大丈夫だよ」
「せやな」

 柔らかい笑み。握る指先に少しだけ力を込めて信介くんの家を出た。


◇   ◆   ◇


 しゃんと背筋の伸びた信介くんの隣で、テーブルをはさみ眼前に座るお兄ちゃんの顔を見る。むしろ1番緊張しているのはお兄ちゃんなんじゃないだろうかという顔の強張りに私は身内ながら笑ってしまいそうになる。
 信介くんが深呼吸をしていずまいを正したので私もしっかりと背筋を伸ばした。

「改めて、本日は名前さんとの結婚のお許しをいただきたくご挨拶に参りました。長いような短いような、たくさんの優しさが詰まった時間を名前さんと共に過ごして、これから先もずっと一緒におりたいと、一緒に幸せになっていきたいと思うようになりました。辛いときも嬉しい時も隣におってほしいのは名前さんで、名前さんがそうである時も隣におるのは自分でありたいと思うてます。温かい家庭を築き、共に幸せな人生を歩んでいければと考えてます。悲しい思いはさせません。やからどうか、名前さんとの結婚をお許しくださいますよう、お願いします」

 信介くんが深く頭を下げたのを見て慌てて頭を下げる。信介くんの言ってくれた言葉を取りこぼさないようにしたいのに、今更どこからともなく湧き出てくる緊張が邪魔をした。胸の奥が締め付けられるみたいに痛い。こういうシーン、ドラマでは見たことあるけど実際はこんな感じなんだと妙に感動すら覚える。
 また1つ結婚が現実味を帯びてその輪郭を明確にさせた。

「ずっと北くんが名前のことを大切にしてくれてたのは知ってるし、きっとこれからもその言葉通り幸せになるんだろうと思えるから反対する気は一切ないんだけど、これからも名前のことを絶対に悲しませないでやってほしい。結婚していない俺がこんなことを言っても意味がないかもしれないけど、大変なことも辛いこともふたりで乗り越えて誰よりも幸せになってくれ。こんなんでも兄で親代わりだからやっぱり少しは寂しいし、幸せになってほしいって思うからさ」

 どうにか泣くのを堪える。頭を上げてちらりと見たお兄ちゃんの顔は寂しさと喜びが混ざるようななんとも言えない表情をしていて、何か言葉を言おうにも気を抜けば涙を流してしまいそうで何も言えなかった。

「約束します。絶対」

 顔を見なくても信介くんがどんな表情をしているのか想像がつく。揺るがない意志の宿る声が部屋を満たす。私達はきっとずっと、これからも穏やかに優しい日々を過ごしていけるんだろうなと根拠のない確信を得ながら、お兄ちゃんに向かって笑顔を見せた。

(21.02.28 / 70万打企画)

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