will you marry me
「なあ。結婚せんか、俺ら」
凪いだ穏やかな心に一石を投じられる。
信介くんは時々突拍子もないことを言うけど、今日はまた一段と内容が凄かった。結婚? 今、結婚って言った? と返事もできずにただ信介くんの顔を見る。
つい今しがた大学の卒業式を終えたばかりでそんなこと言われるなんて誰が想像できただろうか。
「結婚」
間を埋めるためと、自分が聞き間違いをしていないかを確認するために私は信介くんが紡いだ言葉を繰り返した。
駅前のチェーンカフェ。少しお洒落な内装。メローな雰囲気のミュージックが流れて、そんなありふれた日常に溶かすように言った信介くんの言葉は、学生の私にとってまだ朧気な形でしかない。
友達の結婚式ですら出席したこともないのに、自分のなんて想像も出来ないと思いながら信介くんの言葉を待つ。
「今すぐやなくて、1年とか、もしかしたら2年3年先かもしれへんけど」
信介くんが未確定要素の強い未来の話をするのは意外だと思った。農学部の信介くんが在学中から農業を学んで後半はインターンシップみたいに農家にお邪魔してノウハウを身に付けていったことを私はよく知っている。さすがに卒業後、米農家になると言い出したときは驚いたけれど、それに匹敵するくらい私は今、驚いている。
あれ、て言うかこれってプロポーズってこと? と改めて現状を理解すると突然信介くんの言葉に重みが増したような気がした。
「名前が仕事続けたいなら続けとってええし。そこは別に制限させたないし」
「あ⋯⋯うん」
「やけど、どんな形でも一緒におるのは名前がええなと思って」
柔らかい信介くんの瞳に私が映る。この人は日常を丁寧に過ごして、育まれるものを慈しむ。多分、いや絶対に信介くんに育てられる米は幸せだ。そして絶対、最強に美味しいと思う。
「もちろん、どんなんなっても俺は名前を支えていくつもりやし、そんで名前にも俺のこと支えてもらいたいねん」
5年後の未来を想像しても10年後の未来を想像しても、信介くんは絶対にいる。先のことなんて誰にもわからないと言ってしまえばそれまでだとわかっていても、私は希望を持つ。私の想像する未来に信介くんがいるように、信介くんの想像する未来にも私はちゃんといると。
(信介くんと一緒に、支え合って生きていく⋯⋯)
正直、私は仕事でいろいろ学んでみたい。私が大学で学んだことを、お兄ちゃんや信介くん、これまでお世話になった人たちに返していけたら良いと思う。だから私に仕事を辞めて信介くんの農業を手伝うという選択肢は今のところない。ないけれど。
「せやからまあ、予約やな」
満面と言うには過言だけど、はにかむような優しい笑顔でそう言われる。
この人と家族になる約束。家族になることを想像できる権利。それはやっぱりまだ朧気だけど。いつかおじいちゃんとおばあちゃんになっても一緒にいられるならこれ程素敵なことってないと、年を重ねることへの楽しみが増していく。
「俺と、ずっと一緒に居ってくれる?」
「も、もちろん! 嫌って言われてもそばにいる」
少し勢い付いてそう言うと、信介くんは笑った。
「なんや心強いな」
「え?」
「これからも名前と生きていくんやなと思うと、これからが楽しみでしゃあないわ。不思議なもんやな。ぶつかったりうまくいかんかったりこれからは色々あるかもしれへんけど、ええねん。一緒やったら、乗り越えられる気がするねん」
自分は子供だとまだどこかで思っている節があった。守られて、与えられて、受け取って。でもこれからは信介くんと人生を歩んでいくんだ。大人として。守って、与えて、差し出す人生。
「私も信介くんと家族になりたい」
日だまりのように柔らかい笑顔。決してロマンチックとは言えない場所。きっとこれからも穏やかにゆっくりと日々は続いていくだろう。少しずつ関係性を変えながら。
同じ名字になる日はきっと、駆け足でやってくる。
(20.11.17)