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 試合の行方は好調だった。決勝リーグへと進んだ男子チームの試合も残すところあと僅かながら、今日の試合で勝てばメダルは確実となる。相手は世界ランクがほぼ同じの国。燻っていた時期が長い男子バレーだったけれど、今回の大会においてメダルがとれれば3大会ぶりの快挙だ。そんな重要な試合、裏方でも会場の熱量を肌で感じとりたかったが、残念なことに私はもう東京へ戻ってきて社内の業務に追われていた。
 パソコンとかコピー機とか。足音、書類の擦れる音。忙しい音が飛び回っている中、私は私の出来る仕事をこなす。
 
「名字、今日どうすんの?」
「今日ですか?」
「試合、家で見るの?」
「はい! その予定です」
「じゃあスポーツバー行かない? バレー中継するところあるから」
「皆でですか?」
「いや、出来れば2人がいいけど」

 そう話しかけてきたのは2つ上の先輩だった。入社当時は私の教育係もしてくれて、1人で仕事を任されるようになってからもスーパーバイザーとして頼りにさせて貰っている。
 これまでもご飯を誘ってもらうことはあったけれど、出来れば2人でと言われたのはこれが初めてのことだった。

「まあ、無理にとは言わないし」

 意味を考える。先輩として単純に誘ったのか、もしくは何かしらの気があって誘ったのか。無理にとはと言う先輩の言葉には緊張の様子もなく、ここで2人はちょっと⋯⋯と言ってしまえば私がとんでもない自惚れになる気もした。

「いえ、大丈夫です」

 お世話になっている先輩だし、社会人としてこういう誘いくらい普通か。自意識過剰だけは避けたいところだし万が一、いや億が一で何かあったとしてもその時はその時だ。
 私は先輩と仕事終わりにスポーツバーへ行く約束をして、再び仕事へととりかかった。


* * *


 終業後、先輩と共に退社し地下鉄に乗って話に聞いていたお店へ向かう。辿り着くと外観や内装は英国パブのようなもので、親しみやすさに少し肩の力が抜けた。

「珍しいですね、こういう感じのところでバレーのパブリックビューイングしているの。だいたいラグビーとかサッカーが多いじゃないですか」
「オーナーが元バレー部だったらしい」
「あっなるほどそれで」

 メダルがかかっている試合ということもあってか、店内にいる人が多い。スタンディングの席はまだいくつか空いており、注文を済ませると飲み物を受け取って、狭い店内をぶつからないように歩いてテーブルへと向かった。

「とりあえずおつかれ」
「おつかれさまです」
「今日よく終わらせられたな」
「めちゃくちゃ頑張りました。絶対試合は見たいと思ってたので」
「だよな。俺もたまってた稟議書頑張って確認した」
「ためないでくださいよ」

 男性と2人で飲むのは侑以来だ。侑はいつも私服だけど、私たちはお互いにスーツを着ているからどうしても仕事の気分が保たれたままになる。先輩だから特になんだろうけれど。

「名字とゆっくり話すのは久しぶりだな」
「そうですね」
「順調そうだもんな」
「⋯⋯頑張ってはいます。順調かどうかはわからないですけど」
「繁忙期以外はあんまり残業しなくてもいいんだぞ?」
「それは、まあ、はい、努力します」
「努力の方向性」

 先輩が笑う。侑とも、元彼とも違う笑顔。私が先輩とお酒を飲んで試合が始まるのを楽しみにしている間、侑は試合に向けて調整をしている。緊張はどうだろう。精神を統一して、他の選手の様子を確認して。そんな風に侑は侑のやるべきことをこなしている。

「関わってるって言っても、いざ試合となったときに私たちに出来るのは応援だけなんですよね。ちょっと、寂しくなります」
「寂しい?」
「もっと出来ることがあればいいのにって」

 賑わう店内は皆、バレーボールファンだ。今日と言う日を楽しみにして全力で応援する気持ちでここにいる。
 侑は時折"思い出なんかいらん"と言う。聞いたところによると、高校時代の横断幕の言葉らしい。そしてそれは侑の信念でもある。正直に言うと、私はあまりピンとこない。思い出が必要な時もある。負けても勝っても心に残った試合が誰かの人生を変えることだってある。

「でも応援がないともっと寂しくないか?」
「まあ、それは確かに⋯⋯」
「戦えるのは選手だけだ。けれど選手だけじゃ成り立たない。コーチ、トレーナー、ファン。もちろん俺たちみたいな裏方がいて選手は戦える。だからこそ応援するんだろ」

 この人が新人トレーナーを任される理由がよく分かる。女性社員から特に慕われている理由もわかる。

「応援出来るときに応援する。それって最高に幸せじゃん」
「⋯⋯勝って欲しいです、今日」
「もちろん勝つ」

 熱量が上がる店内。ホイッスルの音。高く上がるボール。メダルをかけた男子日本代表の試合が始まる。

(20.06.08)