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 木兎さんのストレートが長かった試合を終わらせた。
 ファイナルセット、デュースを繰り返した試合はまさに手に汗握る戦いだった。勝利の歓声が会場に響く。その喜びと、まだ残る試合への闘志。アナウンサーの喜びの声と共に、汗が流れたまま選手はインタビューに応じている。
 メダル確定という文字が画面に表示されて店内の様子も一層、盛り上がっていた。数いる選手の中から日本代表に選ばれること。国を代表するということ。それは誰にでも出来ることではない。最後、得点を決めた木兎さんは疲れを見せる様子もなくアナウンサーからの質問に答えていた。
 
「勝ったな」
「勝ちましたね。⋯⋯メダル⋯⋯メダルですね!」
「めちゃくちゃ嬉しいな」

 ぬるくなってしまったビールを飲み干す。私も先輩も、このまますぐに帰る気分にはならなくて追加のお酒を頼んだ。店の中心では見知らぬ人同士が肩を組んでいる様子が見えるけれど、端ということもあってか、こちらにくる人はいなかった。

「広報はまた忙しくなりそうだな」
「メダル確定で注目されたチャンス逃すわけにはいきません。日本のバレーボール人口を増やすためにも」
「熱心だなあ」

 木兎さんのインタビューが終わると侑のインタビューが始まった。この試合、侑はスタメンでフル出場だったのにも関わらず木兎さんとは違う笑顔で応じている。
 私も、もっと頑張れる気がする。試合を思い出すと背中を後押しされるような気分になる。

「名字は宮選手と仲良いよな」
「侑とですか? うーん⋯⋯そうですね。確かに選手の中では一番仲良いと思います。あっでも仕事で関わる時はきちんと選手と広報として接してますよ」

 先輩は何か言いにくいことを言おうとしてるのか、躊躇う様子を見せた後、お酒を飲んでから言った。

「まあ、なんだ。プライベートに口出しするのはあまり良くないとはわかっているけど、宮選手とは⋯⋯別になにもないんだろう?」
「何も、ですか?」

 きっと先輩が言う"何も"とは男女のあれやこれやのことなんだろう。

「ないですよ。ただの友達です」
「そうか。いや、なら良いんだ。⋯⋯選手はアイドルのように恋愛禁止ではないし、名が知れているとは言え芸能人でもない。けど、もしそう言うことになるんだったら」
「ないです。絶対に、ないです」

 先輩の言葉を遮って言う。勢いよくお酒を飲むのは私の番だった。何かを流し込むかのようにまだ冷たいお酒を飲む。少し苦い味が喉を通ってじんわりと体を熱くした。
 そう見えているんだろうか。先輩には。他の人たちには。

「⋯⋯入社したばかりの頃私がむしゃらで、緊張とかもして。そんな時期に侑と仕事で知り合って、選手だし最初は気を使っていたんですけど、同い年だし侑の気質みたいなのもあってすぐ打ち解けられたんです。しばらくはビジネスとしての繋がりだったんですけど一緒に仕事をしたり皆でご飯を食べに行ったりして、仲良くなっていったんです」
「懐かしいな」
「あっその時も今も先輩にはたくさんお世話になってます」
「いいって、そういうの」
「侑はなんか⋯⋯一緒にいると楽しいんですよね。笑わせてくれたり、気を使わなかったり。だから仲が良いけど、でも恋愛は生まれません。安心してください。炎上もスキャンダルも私だって困るので」

 もし侑とそんなことがあったのなら、対外的にも良くないだろう。でもそれだけじゃない。私は違う人を好きになることが怖い。彼への愛情を違う誰かに注ぐ自分が怖い。好きという気持ちが大きくなってしまうのが怖い。それに、好きになった人がまたいなくなってしまうのが何より怖い。だから。だから私は。

「好きになりません、誰のことも」

 極論だな、と苦笑しながら先輩は言った。

「それは、俺のことも?」
「え?」
「俺は問題ないだろ?」
「そう言うからかい方は良くないと思います」
「あはは。悪かった悪かった」

 先輩が本気でからかっていることがわかる。そこに他意はないということが。定時間際の私の自惚れっぷりが今となっては恥ずかしいけれど。
 言うなれば二人だけという状況なのに、先輩と一緒にいても心の重さを感じない。侑といた時のえもいわれぬ感覚を思い出す。お腹の奥の、名前もないような部分から滲み出てくるようなあの感覚。苦しみにも似たあの感覚。

「よし、そしたらそろそろ帰るか」
「そうですね」
「明日も出勤?」
「午前中は代休貰っているので午後から出社です」
「じゃあ遅刻の心配はないな」
「さすがにこの時間に帰って遅刻はしないですよ」

 店を出ると急に寒さを感じた。もうこんな季節になったのか、と勝手に過ぎて行く季節を想う。

「気を付けて帰れよ」
「ありがとうございました」

 別々の交通機関だから店の前で解散する。歩き出した私は立ち止まって振り返った。遠ざかる先輩の背中を見つめる。
 何が違うんだろう。先輩と侑は。その答えは私に出せそうにないと言うことだけは確信していた。
 そろそろ衣替えをしないといけない。過ぎた季節の服を綺麗に畳んでしまって、そして新しい季節のために眠っていた服を出そう。次の連休、忘れてしまわないうちに。

(20.06.08)