V



「え?」

 突然の話題に私は思わず聞き返した。いや突然ではないか。私の言った言葉はそういう可能性を孕んでいた。恋愛なんて特別な感情から始まるもののほうが多い。でも、だけど、私と侑の間にあるものは果たしてそれなのだろうか。やっぱり友情は成り立たないのだろうか。

「思っとったんやけど、誰とも付き合わんつもりなん?」
「⋯⋯まあ」
「仏さんなるまで1人で生きてくつもりなん?」

 侑の私を見つめる瞳が据わっている。その問いは私を試しているかのようで、答えを出すのに躊躇う。もし間違ったことを言ってしまえば、私たちの間に亀裂が入ってしまう気さえした。

「⋯⋯自分が年とっていくの想像できない」
「せやけど年はとってくやろ」
「なにも無ければそうなんだろうね。病気にも事故にも事件にも合わずに、大抵の人が歩める人生を歩めたらきっと、人はちゃんと歳を重ねることが出来るんだろうね」
「その言い方やと自分は何かに合うみたいやん」
「そう言う予定はないけどさ」

 けど時折、魔法みたいにパッとこの世から消えちゃってもいいんじゃないかと思う時がある。そう続けたら侑は何と言うんだろう。食が進まなくて、残ったドリンクを飲み干す。

「⋯⋯聞くか聞かんか迷っとったんやけど」
「うん」
「死んだ彼氏ってどんな奴だったん?」

 真っ直ぐに私を見る目。面白おかしく、興味本位に聞いているわけではないことが分かる。侑なりに気を使って、決して雰囲気を悪くしないようにと声色を穏やかにするよう意識していることも分かった。
 優しいとか、かっこいいとか、たまに泣き虫とか、グリーンピースが嫌いとか、すぐに思い出せるあの人の事を私はどう伝えたらいいんだろう。

「⋯⋯わ、かんない。なんか、言うの難しい」

 なんでこんな事を話しているんだろう。どうして侑はそんなことを知りたいんだろう。
 個室の障子を挟んで、世界が全く別物みたいだ。

「大事な、私の一部。みたいな。だから多分、私は1人で生きていくんだと思う。死ぬまでずっと」
「もうこの世におらん奴のこと大事に想ってか?」

 私の言葉に、侑の少し怒気を孕んだ言葉がすぐに届く。事実を伸べている筈なのに私の心臓は鷲掴みにされたように痛かった。
 そう。そうだよ。私は1人で死んだあの人を想って生きていく。長生きなんてしなくてもいいし、幸せとかよくわかんない。楽しいことがあるのは嬉しいけど、自分から作らなくてもいい。だって。だって、そうじゃないと。

「私だけ生きてるのが辛くなるから」

 もう侑の顔は見られなかった。泣きたくなる気持ちをぐっと我慢して、混みあがる感情を言葉にする。こんなことになるなんて、こんな夜を過ごすなんて、誰が想像しただろう。

「突然、全部が崩れてくような感覚が、怖い。なんであの人だったのかなって。他の人だったらって、私が違う行動をしてたらとか、そういう事考える。私、最低で。それでも生きてくために仕事は頑張るけど、それだけで。大人だから普通に生きてるように見せかけてるけど、内心こんなんだし」

 剥き出したままの本音は侑にどう届いただろうか。軽蔑したかな。だけど、ひた隠しにしようと覆っていたものを剥ぎ取ったのは侑だ。

「自分には幸せに生きていく資格なんかあらへんと思っとらん?」

 曝したくないのに。上手に隠して生きていきたいのに。私を知ろうとしないで。暴こうとしないで。お願い、適切な距離を守らせて。

「幸せなんてわかんない。私は普通でいい。いつか終わる幸せならもう、いらない」

 こんな空気になってまで話すことじゃないのに。関係性を崩してまで言うべきことじゃないのに。どういうわけか私の唇は、余計だろうということまで口走る。

「腹立つわ」

 凛とした声に私はその顔を見た。言葉通りの怒った顔付き。でもそれは私を軽蔑しているわけではなかった。

「質問したんは俺やけど、なんなんそれ。意味わからんわ。なんで幸せになったらいけんねん。ええやん。お前は今、生きてんねんぞ。明日死ぬかもしれへんし、歩けんくらいまで生きるかもせえへんけど、なんもせえへんでただ生きてくなんて生き地獄や」
「⋯⋯侑にはバレーがあるけど私にはなにもないし」
「見つければええやん」
「見つけ方もわからない」
「そんなん甘えや」
「侑は⋯⋯好きな人が亡くなるなんてこと、経験したことないでしょ。わからないのに簡単に言わないでよ」

 お酒を飲んでいたらお酒のせいにできたのだろうか。何日か経てば笑い話に出来たのだろうか。幸か不幸か頭はクリアだ。苦い感情が侵食するように心を蝕む。
 例えば、熱い友情に付属する拳を交えた喧嘩なんてものがこれに当てはまるなら私はやっぱり友情の距離感がわからない。いつかは露呈されたのだろうか。いつかは知られてしまっていたのだろうか。それがたまたま今日だったというだけのことなのだろうか。

「おうおう。ないな。経験あらへんけど言うで。1人でおらんと生きてるのが辛いなんて言うなや。お前と一緒におっておもろいって思っとる俺に失礼やろ」

 殴られたような衝撃を受ける、という文章を思い出した。侑の言葉を頭の中で繰り返す。私は今、侑を傷付けている?
 そっと目線をあげた。喧嘩はしたくない。傷つけたくないし、傷つきなくない。嫌われたくない。渦を巻く感情は私にはもて余すばかりだ。

「⋯⋯ごめん」

 大人になればなるほど喧嘩が下手になって、仲直りのタイミングを見計らうことが難しくなる。言ってしまった言葉は取り消せないことを痛いほど知っているし、知らず知らずのうちに相手を傷付けていることもまた理解している。
 それでもただ、この人に嫌われるのは悲しいなと思った。

(20.06.28)