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 それから数日が経過した。
 あの日、あれからすぐに会計を済ませてお店を出ると侑は私をタクシーに乗せて家へ帰した。方向は途中まで一緒のはずなのに同乗することもなかった。もちろんあの雰囲気の中で狭いタクシーに2人で、なんてより一層気まずさを感じるのかもしれないけれど、いつもと違う侑の行動は私を動揺させるには十分だった。
 私からも、侑からも連絡をとることはしていない。謝れば終わる喧嘩だったらどれほどよかったか。包み隠さず心根を伝えるのは不正解だったのか。

「お先に失礼します。お疲れさまでした」

 定時を少し過ぎてから退社する。日が経てば経つほど冷静になって、どうしてあんなムキになるような言い方をしてしまったんだろうと後悔ばかりが募る。
 なら謝る? ムキになってごめん。ネガティブでごめん。言い過ぎてごめん。雰囲気悪くしてごめん。そもそも侑は私の謝罪を受け入れてくれるんだろうか。でも侑だってあんな風に言わなくていいのにさ。
 今日こそ真っ直ぐに家に帰る気分にはならなくて、駅ビルで適当に服や靴を見る。可愛いなと手にとって、必要ないなと思い直して棚に戻す。前はそれをまとって可愛くなれるのならという理由で必要かどうかなんて考えてはいなかった。いつからこんな風に変わったんだろう。馴染みのアパレルを出て、夜ご飯を食べるために上の階へ行く。リーズナブルとスピーディーを優先させ選んだご飯を時間潰しのように食べて、私はようやく帰路を歩くことにした。
 移ろう季節は日々少しずつ冬を連れてくる。何を着ていこうかと毎朝迷いながらゆっくりゆっくり布は厚くなっていく。自分でも気が付かないほど自然に。

(ストール買えばよかったかも⋯⋯)

 最寄り駅に着く頃には外は真っ暗で、構内は仕事帰りの人ばかりだった。駅の北口から出て、コンビニに寄ってドリンクを買う。袋をぶら下げながら人通りの少ない道を歩いていると、ふと人の気配を感じた。
 それがなんとなく私と歩調が同じで不快感を覚える。立ち止まって追い抜いてもらおうと道の端に寄って適当にスマホをいじる。けれど一向に目の前を誰が通る様子はなくて私は首をかしげながらまた歩き出した。そんなことを家に着くまで3度繰り返して、さすがに気が付く。この前のこともあるし。まさか私、誰かにつけられている? と。

(いやいやいや。まさか。でも変質者つかまったっていう情報も聞いてないし⋯⋯。そもそもこのままマンションに行ってもいいの?)

 こんなときだと言うのにふと侑の顔が思い浮かんだ。冷静さを欠いてはいけないと一度、大きい通りに出ようと道を変えた。少し歩いたタイミングでスマホが震える。

「⋯⋯木兎さん! もしもし!?」
『へーい! おつかれーい! 今へーき?』
「平気というか最高のタイミングです⋯⋯」
『えっなになんかあった?』
「実は⋯⋯」

 表示された名前に慌てて通話ボタンを押す。大通りに向かいながら駅から駅に帰るまでの出来事を伝えると木兎さんは『えっ危ないじゃん!!』と一層大きな声で言った。

「なので、その⋯⋯どうするか迷ってて。思い過ごしかなとも思ったりするんですけど最近の治安の悪さを考えると普通に帰るのも怖くて⋯⋯」
『俺に良い考えがある!』
「え?」
『名字は人通りの多いとこで待ってて! あ、コンビニとか! 絶対動いたらダメだから!』
「あの木兎さん、どうするんですか?」
『ヒーローを呼ぼう!』
「⋯⋯ヒーロー?」

 木兎さんとの電話はそれきり切れて、私は駅前のチェーンのカフェで木兎さんの言ったように待っていた。そしてその会話をした20分後、その"ヒーロー"はやってきた。

「治安悪すぎやろ、ほんま」
「侑⋯⋯」

 テーブルに影が落ちて、焦ったような呆れたような声色でそう言うその人は"ヒーロー"こと、喧嘩中の宮侑だった。

「⋯⋯なんでここに?」
「呼ばれたんや。緊急事態やって」
「木兎さんに?」
「おう。ほんで、大丈夫なん」
「え?」
「なんもされとらんかって聞いとるんや」
「あー⋯⋯うん、なにも。て言うかちゃんと姿は見てなくて、確信はないんだけどなんかそんな感じするなって感じで」

 侑はトレーニング中だったのだろうか、スポーツウェアを着て荷物も最低限のようだった。

「どうすんねん」
「明日の仕事には支障でないようにしたい。でもなんか少し1人で家にいるの嫌だから今日はスパに泊まろうかなって思った。⋯⋯着替え取りに行くから一緒に来てほしい⋯⋯」
「わかった。ほなら行くで」
「⋯⋯ありがと」 

 背の高い侑の後ろを歩くと背中ばかりが目に入る。カフェを出ると急に言葉数が少なくなって、この間の気まずさを思い出した。いつまでもこんな気持ちになってしまうなら、手っ取り早く謝ってしまえばいい。
 2人分の足音を重ねてもう一度同じ道を辿る。侑はいつもより私の側にいて周りを観察するように歩いている。人通りが少なくなって後をつけるような足音がなくなっていることに気がついた。
 今を逃したら次があるんだろうか? この夜が終わる前に私は元に戻りたい。足音に溶かすように、私は侑の名前を呼んだ。

(20.07.01)