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 変わった世界が辛くても幸せでも、もう戻れないことを知っている。ただの友達と言い切るには足りない何があったと分かっていた。それとも何かが多すぎたのだろうか。今までのことを思い出しては言葉につまる。

「オイ、なんか言えや」
「な、なんか⋯⋯?」
「そう言うことやあらへんわ!」
「あっいや、違⋯⋯」

 言うべき言葉を探しては、どれも不正解なような気がして言葉に出来なかった。

「⋯⋯まあ、突然言うた俺も悪いわな。とりあえず言い合っててもしゃあないから荷物とってきいや」
「う、うん」

 言われて1人で部屋に戻って必要なものを大きいトートバッグに詰め込む。罪悪感にも似たこの気持ちの正体は一体なんなのだろう。
 スマホのトークアプリを開いて既読のつかないままの画面に『告白されたよ』と送信する。そうして今日も既読がつかないまま、ホームボタンを押す。不毛なことだとわかっていながらも繰り返してしまうその行為は苦しさを増すだけだった。
 長く侑を待たせるわけにもいかないと急いでエントランスに戻る。気まずさもあるけれど、出来る限り普段通りの様子で声をかけた。

「ごめんね。待たせた。荷物まとめたから」
「大通りでタクシー拾うで」
「うん」
「ちゃんと引っ越し考えなあかんで」
「⋯⋯うん」
「さっきの俺が言ったこと、考え込んだらあかんで」
「え? あ、うん?」
「でも考えるな言うわけやないからな。本心や」
「うん⋯⋯」

 侑はいつから、私のどんなところを良いと思ってくれていたのだろう。知りたいと思うと同時に私にはそれを知る権利なんかないのではないかと思う。

「1つ、言い忘れとったんやけど」
「なに?」
「俺は簡単には死なへんからな。なにがなんでも幸せにならなあかんから、死んでたまるかっちゅう話や。⋯⋯絶対に、お前より先には死んでやらん」

 また、私の言葉は迷子になる。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、侑は大通りに出ると長い腕を高く上げて大きく振り、流しのタクシーをすぐにつかまえた。
 日常がいつまでも続くとは限らない。今日出来たことが明日出来なくなってしまうこともある。きっと侑もそれは分かっているだろう。どんなに言い切ったってこれから先のことは誰にも分からないし、言葉だけではどうにもならないこともあるということも、きっと侑はよくわかってる。
 それでも侑は言った。それがどれだけの意味を持っているかくらいはわかる。だって私と侑はずっと、仲の良い友達として過ごしてきたのだから。

「侑は?」
「少し走ってから帰るから安心せえ」
「⋯⋯わかった」
「明日も気を付けるんやで」
「うん」
「なんかあったら電話! 俺に! 木っくんやなくて!」
「わ、わかった」
「⋯⋯すまんな」
「え?」
「不安な時に色々言うてしもて」
「⋯⋯ううん、大丈夫」

 私だけがタクシーに乗り込むと、ドアが閉まる。いつもは大抵私が侑を見送るから、見送られるのはとても新鮮だった。行き先を告げると、タクシーは動きだす。ゆっくりと侑の姿が小さくなっていく。その一連の流れにおかしいところはなにもないはずなのに、何故こんなにも苦しい感情に見舞われるのだろうか。


* * *


 会社近くのスパに泊まり翌朝そのまま出社した後、私は仕事の合間の空き時間で賃貸情報を見ていた。今住んでいるあの地域はもとより特段治安が良いというわけではない。大学に近かったこと、駅から遠くもなく築年数も浅い。それに加えて家賃は相場以下。それが当時あの物件を契約した理由だった。
 住めば都とは言ったもので、多少駅前の雰囲気がやんちゃでも慣れてしまえば平気だった。気がつくと思い出が蓄積されて、心地の良い場所になっていた。それはきっと、全てを新しい場所に持っていくには重すぎるくらい。

「名字さん引っ越し考えとるん?」
「まあ、はい。ちょっと検討中でして」
「大変やけど気分転換になるんよね。荷物整理も出来るし、断捨離には引っ越しええよね」
「断捨離⋯⋯」

 私が断つべきものは、捨てるべきものは、離れるべきものは、何なのだろう。最近近所の治安があんまり良くないんですよねと言うと同僚の先輩は女の子の一人暮らしなんだから早く引っ越ししないと! と慌てた様子を見せた。

「あっ彼氏と一緒に暮らすきっかけにするんいいやない?」
「⋯⋯今、彼氏いなくて」
「あれ? そうやったっけ? いると思ってたわ」
「あはは。好きな人はいるんですけどね」

 思い浮かんだ2人の顔。こうやって変わっていくのだろうか。ゆっくりと、ゆっくりと。自分でも無意識のうちに。これが生きていくということならば、人生はやっぱりしんどいと思う。ああ、それでも生きるんだろうな。私は私の人生を。
 いつか、私が死んで誰かを悲しませてしまうかもしれない。それともまた同じ悲しみを味わうかもしれない。そんな時に思い浮かぶ顔があるということ、それはもしかすると幸せなことなのかもしれない。

(20.08.03)