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「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、わざわざ来てくれてありがとうな」
「また来ますね」
「おん。侑と一緒に来たってや」
「あはは。そうですね」
「アイツのことよろしく頼むな」
「はい」

 治さんとのお話を終えて、私はおにぎり宮を後にした。侑の子供の頃のことや、学生時代のことなんかもいろいろ聞けて楽しかったし、さりげなくケータリングのお願いもした。
 治さんと会い少し前向きになれた気持ちで私は大阪へと戻り、まだ明るいうちにマンションに着いて郵便受けを確認する。トレーニングジムや飲食店のチラシに混ざるようにあった、星空の絵が描かれた手紙。この時代、手書きの手紙を送ってくる相手に覚えはない。一体誰からとエレベーターを待ちながら裏返す。そして目に入ってきた差出人の名前に私は思わず荷物を全て落としてしまいそうになった。

「あ⋯⋯そうだこれ、確か」

 焦る気持ちを抑える。覚えは、あった。生前、2人で行った旅行先で書いた手紙。5年後に届く手紙という企画をやっていて、私がどうしてもとせがんで書いてもらったものだ。
 部屋について片付けることもなくその手紙を見つめる。開けて読みたい。開けたくない。読みたくない。だってこれがきっと、最後。私の知らないあの人を知る最後になるだろう。
 何かある度に返ってこないとわかっているトークアプリに言葉を残す。泊まりに来たときのためにと置かれたままの服。そんな風にずっと止まっていた時間が、ようやくあの人によって進んだ気がした。でもこれを読んでしまえば私の時間はきっとまた止まる。
 封の切れない手紙をじっと見つめている私を動かしたのは、侑だった。

『治から聞いたで! ほんまに一人でアイツんとこ行きよったんやってな』

 あ、治さんから聞いたのかと返事をする前に続けざまに侑から連絡が届く。

『有言実行しとるやん。偉すぎてビビるわ!』

 偉すぎてビビるってなんだそれ、と自然に口角が上がる。そして、気持ちは自然と手紙を読もうという気持ちにさせた。

『いやまて。治に余計なこと言うとらんやろな?』

 間をあけることなく届く侑のメッセージを見つめて、1度トークアプリを閉じる。深呼吸をした。大丈夫。私の時間は止まらない。大丈夫。これがきっと最後。わかってる。もうあの人から届くメッセージはない。5年前の彼が贈ってくれた言葉。
 顔が脳裏に、鮮明に思い浮かぶ。私を呼んでくれる声。見上げるのにちょうど良い身長。繋いだ手の温もり。もう全部昔のものだけど。私はずっとこの人が好きだ。死ぬまで忘れない。それだけは何があっても変わらない。この人といた自分があったから、今の自分がいる。
 そっと、腫れ物に触れるように丁寧に封を開けた。怖れるように中の封筒を取り出して開く。
 名字名前様。彼の字で書かれた自分の名前を見て泣きそうになった。ううん、きっとすぐに泣いてしまう。滲ませないように、汚してしまわないように、丁寧に丁寧に文字を追った。


* * *


 窓から差し込んできた西日の眩しさに、どれだけ自分が長いこと座り込んでいたのかを思い出した。何度も繰り返し読んだ手紙を封筒の中に入れて、乱雑に置いていた旅行帰りの荷物をようやく片付け始める。
 そうだ、侑からのメッセージに返事もしていなかったとやるべきことを改めて色々と思い出す。明日会社に持っていくお土産を忘れないように玄関に置いて洗濯を回し、旅行用の用品とバッグを所定の場所にしまって侑への返事を考えた。

『返事遅くなった。さっきこっちに戻ってきて。おにぎりすごく美味しかった。あと、侑に直接会いたくて』

 この時間、まだ練習をしているかもしれない。いや、もしかすると今日は試合があった? とPDF化して自分のスマホに保存してあるムスビィの試合予定表を確認する。みたところ今日は試合ではないようだ。明日試合があるみたいだし、今日は練習日かオフの日か。メッセージを送ってきた時間を考えるとオフの日でもおかしくはないけれど、練習日だった時のことも考えて電話ではなくてそのままメッセージを続けて送った。

『出来れば近いうちに。忙しいと思うから予定は私が合わせるね』

 何を言葉にすれば良いのかわからない。それでもただ会いたいと思った。会わなければいけない、と。
 数時間してから侑から返事が届く。私の文章から何かを察したのか、先程とうってかわって冷静な様子が読み取れた。

『ええで。せやったら明後日の夜はどや?』
『うん。大丈夫。試合中なのにごめん。でも、ありがとう』

 約束を取り付けてやり取りが終わる。そして、深呼吸。大丈夫。また自分に言い聞かせる。
 明後日の夕方、木兎さんから「ツムツムが事故に巻き込まれた」という電話が届くことなど、この時の私はまだ知るよしもない。

(20.08.03)