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 思い出に溺れた。掬い上げたのは君だった。さようなら。ありがとう。そしてまた会える日を夢見て。

ランプブラック


 侑と会う約束をした当日、仕事上のトラブルもなく過ごしていた私にその知らせは突然やってきた。
 15時を少し過ぎた頃、机に置いたままのスマホが突然震えて画面に表示される『木兎選手』の文字に首をかしげた。この時間に、木兎さんから直接電話をしてくるなんて今までになかったことだ。
 席を外れて部屋の端に寄ってから通話ボタンを押すと、開口一番に私の名前を呼ぶ木兎さんの声が届いた。

「名字!?」
「木兎さん、どうしたんですか? 電話なんてなにかありました?」
「聞いてくれ」
「はい」
「ツムツムが事故に巻き込まれた!」
「は⋯⋯い?」
「俺今から病院行くから名字も来て! 場所送る!」 

 木兎さんは普段から言いたいことを言うし、突拍子もないことを言うこともあるけれど嘘を言うような人じゃない。
 だから今言ったことだって嘘ではないのだろうけど、でも、ちょっと待って。そんなの急に言われても全然把握出来ないんだけど。事故ってなに? どんな事故? 侑は無事なの?
 その知らせは私を困惑させ、動揺させるには十分過ぎた。身体の真ん中が冷えていく感覚を覚える。通話はそこで切れ、宣言通り木兎さんからすぐに病院の場所を共有するメッセージが送られてきた。
 ここから車で30分くらいだろうか。地名が大々的についた総合病院が地図上に示されていた。嫌な記憶が蘇って足元がすくむ。もしも。もしも、最悪な事態になっていたら。詳細の無いことが余計に私を不安にさせて、判断を鈍らせる。
 それでも努めて、自分がとらなければいけない行動を考えた。上司に事情を話すと会社としても事実関係を確認しなければいけないからと病院に向かうことを許されたので急いでタクシーに乗り込んむ。
 きっと本当はムスビィからの公式の連絡を待つのが正解なのだ。それでも私と侑の関係性を気遣って許可してくれた。だからこそ余計に冷静にならなければならない。それに、侑は言った。簡単には死なないって言った。絶対に私より先には死なないって、そう言ったんだから。


* * *


「木兎さん!」
「名字!」

 病院についてロビーを見渡すと一際背の高い人が目に入る。マスクをしていてもわかる。木兎さんだ。近くまで行き名前を呼ぶと、木兎さんは私に向かって大きく腕を振ってくれた。

「それで、あの、侑は? 事故ってどういうことですか? 無事なんですよね?」
「んー⋯⋯あっもう終わったって!」
「終わった? 終わったって何がですか?」

 焦りからか木兎さんに詰め寄るように話してしまう。スマホを確認した木兎さんは落ち着けと私を諭しながらそう言った。でも無理だ。こんなの落ち着いていられるわけがない。
 綺麗な白い壁紙。吹き抜けのロビー。車椅子の入院患者さんが横を通り、窓からは街路樹が見える。一見すると平和のようにも思えるのに、ここに来るのは怪我や病気を抱えた人達だ。
 数年前、霊安室に通された過去を思い出す。自分のいる場所と外の様子がちぐはぐで私はとても苦しかった。それ以来、病院に来るとあの時の感情を思い出して苦手だと思うようになった。
 ほら、また今も。と込み上げる感覚に耐えようとした時、目の前からやって来た人物に私は目を見開いた。

「は、なんで名前がおんねん」
「え⋯⋯生きてる」
「いや勝手に殺すなや」
「木兎さんから事故に巻き込まれたって聞いて⋯⋯だ、大丈夫なの? 巻き込まれたんじゃないの? なんでそんな元気そうなの? 実は頭打ったとかじゃないの? や、それよりもバレーは? バレーに支障は? 後遺症とか、そんなのとか⋯⋯先生なんて言ってた!?」

 矢継ぎ早に質問を言う私のことを、侑は眉間に皺の寄った顔で見る。そして1度木兎さんのほうを見た後、何かを悟ったのか深いため息を吐いて言った。

「落ち着け。見ての通り俺は大丈夫や。全部、問題あらへん」
「⋯⋯本当に?」
「おん」

 そっか、そっか。問題ないのか。大丈夫なのか。もう1度侑のことを足元から頭の先まで見つめる。そうだね、大丈夫そうだ。ホッとすると急に気持ちが緩んで何かがこぼれてきてしまいそうだと思った。

「どんな風に伝えられたんか知らんけど、俺は目撃者や」
「⋯⋯目撃者?」
「たまたま事故目撃してもうて、跳ねられた人も大丈夫そうやったけど出来る限り応急処置して、同行してほしい言われたからここまで来ることんなって、警察にも通報しとったから事故の詳細聴かれて、いろいろあったけど終わりや。無事に解放」
「あ⋯⋯ハハ⋯⋯そっか、目撃者か、ハハハ⋯⋯」

 木兎さん、言い方が紛らわしすぎます。いや早とちりした私も良くないんだけど。て言うかなにこれ、なにこの流れ。ドラマか。ドラマの次回予告手前シーンか。そんな風に思って、笑いながら言ってやりたいのに何一つ言葉に出来なかった。
 何もなくてよかった。大丈夫でよかった。元気でよかった。ただそれだけが埋め尽くす。泣かないようにするのが精一杯だった。

(20.08.15)