U



 受け取るものを受け取ったら帰るつもりだったけれど、せめて私も何かしらのお礼はしたいと腕時計を確認してから提案する。

「侑、この後って帰る?」
「おん、そのつもりや」
「少しだけ付き合わない? この近くにね、クラフトビールのお店があるらしいんだよね。気になってたから一緒にどうかなって」
「ええけどええの?」
「ん?」
「危ないんちゃうの、週刊誌」
「あっ⋯⋯」
 
 失念していた。仕事疲れとかお土産が嬉しいとかそんなことばかりが頭の中を占めて、気を付けなければいけないことをすっかり忘れてしまっていた。

「確かに⋯⋯」

 二人きりでビールなんて誤解されてもおかしくない行動だ。

「でもお礼⋯⋯なんかしたいんだけど」
「せやったらバー行かん? 会員制の店やからええやろ」

 何かしらのお礼はしたいと悩む私に侑が提案する。会員制の店というワードが強くて思わず目を見開く。もちろん名の知れた人なのは分かっているけど、すごく有名人ぽい。私の乏しい安直な"有名人と言えば"のアンテナに触れる。

「え⋯⋯そういうお店知ってるの? すごい有名人っぽいていうか、お金持ちっぽいっていうか⋯⋯なんかビックリ」
「そんなお前が思っとるほどやないで。案外普通や」
「普通⋯⋯」

 問題さえおこさなければ別にプライベートをどう過ごそうが侑の勝手だ。会員制のバーに行こうが私には関係のないこと。
 仕事のできるビジネスマンとかすごく美人なお姉さんとかいそう。そんな想像をするとさらに会員制のバーというとのへの興味が沸き、私は侑の申し出を受けた。

「人生経験としてぜひ、ご一緒させていただきたいです」
「⋯⋯変に誤解されたないから言うけどな、知り合いに連れてってもろてそんで1人で行くにちょうどええ感じやったから馴染みになっただけやで。そんな人生経験言うほどのもんやないからな」

 侑はそう言うけれど私からすれば少し階級が上の人の日常としか考えられなくて、どうしても普通とは思えなかった。だってきっと侑が言わなかったら私はそういう場所とはこれから先も無縁に生きていくだろうから。

「遠い?」
「近い。せやけど夜やしタクシー乗ろか」

 タクシーを拾おうと大通りに出る侑に置いていかれないように隣を歩く。選手の隣を歩くときは身長差があるからいつも早足になってしまうけれど侑は特に気を使ってくれて私はいつも自分のペースで歩くことが出来る。
 流しのタクシーを捕まえて場所を言う。実際そこは侑の言う通りそれほど遠くはなく、お店は一見すると素通りしてしまうような入り口はとても風景に馴染んでいた。

「ここが⋯⋯」

 侑に続くように中に入る。会員制のバーとはなんたるものがという思いが募りすぎてつい、周りを見渡してしまう。

「ド田舎からやってきたんか」
「ご、ごめん。つい」
「カウンターでええ?」
「うん。どこでも」

 入口から想像していたよりも中は広く、人もまばらにいる。人生でバーに行ったのは数えるほどしかないけれど、その数えられる記憶を紐解いてもここにいる客層は品があるように思えた。

「何飲む?」
「えっと⋯⋯じゃあ、アメリカンレモネードをお願いします」
「俺はギムレットで」

 その言葉を聞いて目の前にいるバーテンダーが私たちのカクテルを作り始める。普通に座って普通に飲み物を頼んだけれどここは会員制のバー。一杯いくらだ? そもそもチャージもおいくら? ふとそんなことを考えて背筋が凍る。大丈夫、カードがある。なんとかなる。

「何考えてるか知らんけど、奢ってもらおうなんて思ってへんからな」
「えっ私顔に出てた? いや、ていうかそれじゃあお礼にならないよ!」
「誘ったの俺やし」
「最初に提案したのは私だから大丈夫。してもらってばかりはあんまり好きじゃない」
「強情やな」
「あ! じゃあ、活躍して」
「は?」
「お土産のお礼がこれで、これのお礼は試合で侑が活躍すること!」
「いや言われんでも活躍したるわ」
「あはは。だよねぇ」

 区切りの良いタイミングでカクテルが差し出される。濁った白いギムレットと、赤と白の二層の色をしたアメリカンレモネード。
 
「"本当のギムレットとはジンとローズ社製のライムジュースを半分ずつ、他になにも入れない"」
「なんやねん、それ」
「昔教えてもらったんだ。レイモンドチャドラーの長いお別れっていう小説の中の一節。かっこいいなって思ってさ、侑がギムレット頼んだから思い出した」
「ふーん」

 それを得意気に教えてくれた彼を思い出す。その本を頑張って読んで、二人でバーに行ったとき真似をして一緒にギムレットを飲んだ。いまとなっては遠い日常が恋しくて、ギムレットを頼むべきは私だったのかもしれないと、目の前にあるアメリカンレモネードを口にした。

「誰に聞いたん?」

 てっきり興味がないと思っていた侑がそう訊ねる。薄暗い店内の明かりが侑の顔に影を落とす。雰囲気もあって、いつもと違う人みたいだ。

「えっと」

 亡くなった元彼。そう言ったら侑はどんな反応をするんだろうか。別に隠しているわけじゃない。積極的に言わないだけで。だって明るい話題でもないし。
 口が渇いた気がして私はまたアメリカンレモネードを飲んだ。

「⋯⋯付き合ってた人」

 ああ考えてみればアメリカンレモネードも今の私にはぴったりだ。

(20.05.25)

※アメリカンレモネード……忘れられない