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「私が22の時に、事故で」

 言う私に侑は無言だった。けれど言葉を聞いていないわけではなく、興味がないわけでもなく、どちらかと言えば私の言葉を待ち続けているようだった。
 
「その時はもう私は一生笑うことはないんだろうなとか、楽しい気持ちになることはないんだろうなとか思ってたのに、今日もそうだけど楽しいと思う出来事はやってきて、なんか時々そう思う自分が不思議に感じるんだよね。恋愛とか関係なく異性と二人きりでお酒とか夢にも思わなかったって言うか、そういうことはもう2度とないものと思ってたから」
「前に、彼氏つくるつもりも恋愛するつもりもない言うてたんはそれが理由か」
「うん、まあ」

 侑は窓の外を見ていて、私にはその表情は窺えなかった。忘れられない、遠い人を想う。私もきっと酔っている。

「ごめんね急に。こんな暗い話題。わざわざ言うような話でもなかったよね。なんかつい口から出ちゃって。だから忘れて! あはは」
「⋯⋯ええけど、別に」

 それからまたしばらく無言が続いて、タクシーは私のマンションの前に停車した。メーターに表示されている分の金額を押し付けるように、無理矢理侑に渡す。

「お土産、本当にありがとう。気を付けて帰ってね。それじゃあ、おやすみ」
「そっちこそ、気ぃつけるんやで」
「うん」
「ほな、またな」
「またね」

 ゆっくりと扉が閉まる。私がマンションのエントランスに入ったのを見届けられてからタクシーは走っていった。急に疲れが押し寄せた気がして、郵便受けを確認することもしないまま部屋へ向かった。
 決して広くはない部屋に、鎮座するようにあるベッドにダイブをする。さすがに今日はもうお土産を口にすることは出来ないな。本当は化粧を落とすのだってめんどくさいけれどやらなければ。

「⋯⋯言ってしまった」

 少し体を動かせば目に入る遺品。服とか雑貨とか写真とか、そういう生活に馴染むもの。片付けられずに今日まで生きてきた。動かさずに置いておけば、いつかひょっこり遊びにくるんじゃないかと思えるから。そんなこと絶対にありえないのに。
 今の仕事に就いて付き合ってた人が亡くなっていることを口にしたのは初めてだった。同僚にも先輩にも上司にも、仲の良い女子選手にさえ言ってない。言うつもりもなかったのに。言わなくてもいいと思ってたのに。


* * *


『ツムツムと喧嘩でもした!?』

 次の日、お昼休みに木兎さんから突然そんな連絡がきた。木兎さんからの連絡は文章だけでもその人柄が伝わってくるようだと毎回思う。

『してないですよ。何かありましたか?』
『そっか! 今日ツムツム元気なかったから!』

 喧嘩はしていないけど、昨日の夜しなくても良い会話をした。思い当たるふしといえばそれしかないけれど、でもあんなことで元気がないに繋がるわけがないし。
 私とは全く関係のないところで何かあったかもしれないし、もしかすると昨日の夜お酒を飲んだことに単に疲れているだけかもしれない。

『昨日、一緒にバーでお酒を飲んだので少し疲れているのかもしれないです。ごめんなさい、あんまり無理しないように伝えておいてください。体調悪いとかだったらすぐにスポーツ医に言うようにしてくださいね! もちろん木兎さんも! 怪我にも気を付けてください!!』
『わかった!! ありがとな!!』

 木兎さんとやりとりをしているとついビックリマークをたくさんつけたくなる。
 
「⋯⋯大丈夫なのかな」

 結局やりとりはそこで終わったけれど、私は心配だった。昨日の夜だってきっと家についたのは深夜近いだろうし、もし疲労とか体調不良とかだったらどうしよう。侑はそういう本当に弱いところを簡単に見せようとしない人だから不安になる。友達としても仕事相手としても。
 やっぱり昨日の今日だし、連絡くらいはしておこうと侑へのメッセージを考えていると本人から連絡が届いた。

『今木っくんから連絡あったやろ!? 気にせんでも俺は元気やからな。なんでもあらへんからな。怪我もしてへんし、体調も完璧や。ばっちり活躍したるで楽しみにしときや』

 意外と大丈夫そうな様子に安堵して、私はお弁当を食べるのを再開した。タクシーの中では珍しく口数も少なかったけど今日はいつも通りみたいだ。

『昨日はありがとう。大丈夫なら安心したけど、試合前だから無理はしないでね。怪我にも気を付けてください! それとお土産、今朝食べたよ。すっごく美味しかった!』

 侑が昨日何を思ったのか、木兎さんと今日何を話したのか。私が知ることはないけれど。
 だけど互いのことをほとんど知らない私達の距離がほんの少しだけ近付いて、けれどその分相手が身を引いて、そうやって少しずつ関係は形を変えていこうとしていた。

(20.05.28)