早朝からけたたましく鳴り響く目覚ましを寝ぼけ眼で止めた。
カーテンの隙間から見える空はまだ薄暗い。こんな寒い時期にこんな寒い時間から起きなくてはいけないなんて、これはもう人間に与えられた神様からの試練だと思う。
眠気と寒さと戦いながらどうにかしてベッドから脱出し、朝の支度を終える。いつもは着替えも終わっているお母さんも今日という日はさすがにパジャマ姿のままで、朝ごはんもいつもより簡素なものだった。それでもちゃんと作られてあるお弁当を受け取り、私はいつもより2時間近くも早く家を出た。
「寒すぎなんですけど⋯⋯」
時々吹く風が、容赦なく身体を冷やす。こんな寒い日や真夏日なんかは特に駅までの距離が長く感じる。
改札をくぐって電車を待つ。都心部から少し離れているけれど住宅地が集まるこの場所は、路線がいくつかあるため駅もそれなりに大きい。いつもは通勤ラッシュのタイミングに被って人が溢れているのにこの時間帯はさすがに人もまばらだった。
やってきた電車に乗り込む。車内も空席が目立っていつもみたいに座れないなんてことはなかった。ラッキーと思いながら空いている端の席に座る。学校の最寄り駅までは乗り換えなしで20分ほど。適当に携帯でも触っていればあっという間だ。
(⋯⋯ん?)
ふと、斜め前の座席に座る人に見覚えを感じた。
両隣に誰も座っていないのに少し居心地が悪そうに、出来るだけ車内の物と触れる面積を少なくしようとしているのか、どことなく窮屈そうな体勢でいるのは佐久早聖臣くんだった。
この人を近くで見るのは年明け前の告白を聞いてしまった以来だ。佐久早くんもこの路線なのかとか、バレー部ってこんな朝早いのとか思うことはいろいろあったけれど、気まずさに思わず顔を伏せる。
多分、まだ気付かれていない。そんなに仲が良いわけじゃいし目があってもより気まずいだけだ。着くまで凌げれば後は距離を保って学校に向かえば良いわけだし。
そう思っていつもは途中で止めるゲームもギリギリまでやって、駅について扉が開くとすぐに外に出た。やっぱりいつもより人は少ないけれど、ちらほらいる同じ制服に紛れるように改札へ向かった。
スクールバッグから定期の入ったケースを取り出そうとバッグのサイドポケットに手を入れる。
「あれ⋯⋯ない⋯⋯」
落としたかも。と気が付いた次の瞬間、不機嫌そうな声が駅の雑踏に紛れながら届いた。
「これ、落としてるんですけど⋯⋯」
「あ⋯⋯」
見上げた顔は、いつもこの顔だ。私の定期入れの端を落とさない程度に持って差し出している。私に気が付いたのか、佐久早くんは一瞬だけ顔付きを変えた。
「ごめん、なさい。ありがとう」
受け取って、バッグから取り出した除菌シートで定期入れを拭く。汚れていた部分を何度か擦って、むしろ落とす前よりも綺麗になった気がする。
「え⋯⋯なに?」
先に改札を通るでもなく、私のその動作を佐久早くんはただ見つめていただけだった。
「⋯⋯別に」
あ、そっかこの人潔癖なんだよね。と、私は手に持っていた除菌シートを差し出した。
「⋯⋯いる?」
「いらない」
いらないんかい。と差し出した除菌シートをバッグにしまうと、佐久早くんは自分のバッグからアルコールジェルを取り出して手に乗せていた。
「自分の使うからいい」
アルコールジェルを携帯している男子高校生、珍しい。そう思いながらついつい佐久早くんを見つめた。しっかりと手を消毒すると佐久早くんは何も言うことなく改札のほうへ向かっていった。自由人? ていうか、ぶれない自分がある、みたいな。
(はっ⋯⋯! 私も学校行かないと!)
慌てて改札を通る。いつもより早い時間の、いつもと同じ道。改札を通った時間の差は少ししかないはずなのに、佐久早くんは私のずっとずっと前を歩いていた。これが足の長さの差か。それでも背の高い佐久早くんは私のずっとずっと前を歩いていても常に目に入った。ウェーブのかかった髪の毛が冬の風に揺られる。
「名前?」
「え、あ。おはよー」
後ろから元也に声をかけられた。そっか、佐久早くんがいるってことは元也も朝練あるってことか。
「はよー。なんか今日早くない? なんで?」
「放課後の部活なくなったからその代わりに朝練するってなったんだ。久しぶりの早起き辛かった」
「しかも朝寒いしな」
「電車に座れたのはラッキーだったけど⋯⋯あ、そういえば佐久早くんと同じ電車だった」
「まじで? 話した?」
「ううん。気まずくてずっとゲームしてた。でも定期落として拾ってもらった」
アルコールジェルの話をすると元也はケラケラと笑った。
「落とした定期入れ除菌シートで拭いたのは大正解だと思う」
「大正解?」
「そのまま受け取って鞄入れてたらすげー汚いやつって目で見られる」
「それは⋯⋯いくらなんでもちょっと嫌かも」
そっと目線を前に向ける。気がつくと佐久早くんはもう、ずっとずっと、そのまたずっと先まで進んでいた。
(20.07.13)