03




「名前ごめん、悪いんだけどこれ佐久早んとこ代わりに返しにいってくんない?」

 数学の授業が終わってすぐに元也は私のところへやってきてそう言った。手には先程まで使用していた数学の教科書がある。

「いいけど⋯⋯なんで私?」
「先生に呼ばれてたの忘れてた! 佐久早からこれ借りてたんだけど次使うみたいですぐ返さなくちゃいけなくてさ。名前なら佐久早も知ってる人だしいいかなって」

 急いでいる様子の元也は私の机に教科書を置くと佐久早くんのクラスを私に教えて「ごめん! 頼む!」と言い残して教室を出ていった。
 届けるのは別に構わないんだけど、佐久早くんが私のことを知っていても好意的に思ってるわけじゃないだろうから私が届けるのは佐久早くん的にはどうなんだろうか。とは言え元也はもう行ってしまったし、佐久早くんのクラスの次の授業が数学ならばこれを届けないわけにはいかなかった。
 佐久早くんのクラスは少し遠くて、雑音の中を抜けるように進んだ。この教科書、しっかり握っては多分良くないだろう。だけど落としてしまうのはもっと良くないだろうから私は細心の注意を払って教科書を持った。私はそこまで潔癖じゃないから分からないけれど、佐久早くんはどこまでなら許せるんだろう。どこまでなら許してくれるんだろう。

「佐久早聖臣くん」

 佐久早くんのクラスに辿り着いて、窓際の机に座っている彼の名を呼んだ。関わりの少ない教室の中にいるのはなんだか居心地が悪い。

「⋯⋯なに?」
「えっと、これ元也から届けてって頼まれて」
「古森は?」
「先生に呼ばれたって、多分、職員室」
「⋯⋯ああそう。どーも」

 佐久早くんは相変わらずの様子だった。この人、声を出して笑うこととかあるんだろうか。ないな。ないだろうな。いやでも好きな人相手なら違うのかな。
 つい、じっと見つめてしまう。佐久早くんのことを太陽の光があたる時間に真正面から見たのは初めてだ。結構肌が綺麗とか口にしたら多分冷めた目で見られるんだろう。

「まだなんかあんの?」
「えっ! あ、いや、ない。それだけです」
「待って。教科書に挟まってたプリントは?」
「プリント?」
「まさか⋯⋯落とした?」
「落としてない! すっごい気を付けて持ってたし、でもあんまり握らないようにしてたし、なんなら届ける前に手を洗ってる!」

 矢継ぎ早に言った私に佐久早くんは驚きの表情を見せた。

「え、なに⋯⋯わざわざ手洗ったの?」
「あーうん、まあ、洗った」

 それは届ける前にトイレに行ったから洗っただけなんだけど。

「⋯⋯ふうん」

 佐久早くんは満更でもなさそうな瞳で小さくそう言った。待って、私も潔癖って思われてる? そりゃあ汚いのは嫌だし清潔でいられるならその方がいいと思うけど、どちらかと言えば四角い部屋を丸く掃くタイプだし絶対に佐久早くんみたいな綺麗好きではないんだけど私。

「プ、プリントのことは元也に聞いてみる。次の授業に支障はないよね?」
「部活の時に自分で聞く。古森の代わりにわざわざどうも。それと⋯⋯」
「うん?」
「除菌シートはこっちのほうがアルコール度数高くてオススメ」
「えっ」

 除菌シートはこっちのほうがアルコール度数高くてオススメ? 机の中から出てきた除菌シートを見つめながら佐久早くんの言葉を繰り返す。それはこの前、定期入れを拾ってくれた時の話からきている? っていうかやっぱり私も綺麗好きって思われてるじゃん。あれ持たせてくれたの母親だよ。なんてこと、言えるわけもなく。

「あ⋯⋯えっと、うん。覚えておく。次はそれ買う、ね」

 区切りよく予鈴が鳴る。なんでこうなった? と思いながら教室に戻って元也に無事に返せたことを報告する。
 次の休み時間に元也は紙パックのジュースを買ってくれて、飲みながら佐久早くんとした会話を話すとその内容がツボにはまったのか飲んでいたジュースを気管に詰まらせ、それでも耐えがたいのか元也は笑っていた。

「笑いすぎだって。大丈夫?」
「大丈夫⋯⋯じゃない。ぶはっ! 想像だけでヤバい。佐久早と名前、意外と相性いいんじゃん?」
「まさかでしょ」
「佐久早は結構人の好み激しいからさ、名前は多分そんな悪くないところにいると思うんだけど」
「たまたまね。いろんな偶然が重なってだよ。まあ、私が言うのもあれだけど佐久早くんて案外面白い人だよね」
「佐久早を面白いっていうの名前くらいじゃない?」
「そう?」
「だってアイツ超絶ネガティブだし」
「ネガティブ⋯⋯っていうよりなんか、うーん⋯⋯石橋を叩いて渡るタイプって感じ? 慎重派? いやよくわかんないけど」

 私の言葉に、元也は「うーん」と独り言のように呟いた。紙パックに残ったジュースを飲み干して、少し遠くにあるゴミ箱へ放り投げる。綺麗な弧を描き、見事にイン。それを見て私も真似しようかと思ったけれど出来る気もしなくて結局歩いてゴミを捨てに行った。

「やっぱり俺は2人相性良いと思うわ」

 少し離れた場所で元也は楽しそうに言う。いやいや、まさかでしょ。 

(20.07.14)

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