ガモちゃん



 佐久早くんを好きになったきっかけって本当に些細なものだった。
 いつもマスク姿の佐久早くんが体育の時にそれを外して、わたしは初めて素顔を見た。あ、なんだ普通にかっこいいんだ。思ったのはそれだった。
 だってほら、マスクの下はうーんって人、たまにいるでしょ? だから佐久早くんがマスクをとって普通にかっこよくてちょっとダルそうに、でも手を抜く様子もなく体育のバスケをやっているところを見てわたしは恋をした。
 それは本当に些細なことなんだけれど、それをきっかけにわたしは佐久早くんを目で追うようになった。授業中に当てられてちゃんと正解を答えるところとか、いつも制服が綺麗なところとか、なんかいいなあって。好きになると全部よく見えてくる魔法ってやつ。

「好きって言ってみたら?」

 そう友達に言われたのはある冬の日のことだった。それまでわたしの頭には「告白する」なんてことは浮かんだことがなくて、友達に言われて初めてわたしは想いを口にする選択肢があるのだと気付かされた。

「でも佐久早くんに告白するの緊張して、多分うまく言えない⋯⋯」
「んー、じゃあ罰ゲーム!」
「え?」
「罰ゲームなら言えるんじゃない?」
「罰ゲーム⋯⋯」
「そう思えば気楽に。とりあえず好きって。サクッと」

 そうなのかな。そう思えばサクッと言えるのかな。分からなかったけれど、わたしはその日、友達の助言を実行した。佐久早くんの部活が終わるのを待って、人気の少ない部室棟の横のほう。わたしは冬の夜の静かな空に、佐久早くんへの気持ちを言葉にした。

「だから?」

 それは予想すらしていない返答だった。だから。だからって逆に、だから? 

「だから⋯⋯だから、えっと、付き合ってください?」
「それは無理」
「⋯⋯わかった。ごめんなさい、急に」

 まあ、そうだよね。と思った。だってわたしは佐久早くんとまともに話したことなんてほとんどないし。食い下がる理由がなかった。
 それから月日が経って、バレンタインデーにもう一度チョコレートを渡してみようと試みたけれど、佐久早くんは予想通り受け取ってはくれなかった。わたしはわかっていた。佐久早くんはきっと、わたしの好意を迷惑としている。誰かが佐久早くんといい雰囲気だって話も聞いたことがない。むしろ佐久早くんてそういうの嫌いらしいよとか、聞くのはそんな話ばかりだ。
 だから多分、わたしも例に漏れずそうなんだろう。佐久早くんの特別にはなれないんだろう。そう思った。じゃあ、そんな佐久早くんの特別になれる女の子って、一体誰? と。

「名前ちゃんはさ」
「うん」
「佐久早くんのこと好きだったりしないの?」

 2年生になって行われたナイトウォークで、わたしは名前ちゃんに聞いた。名前ちゃんはちょっと困っていたようだったけど、わたしはもうこの時、佐久早くんは名前ちゃんのこと気になっているんだろうなって思ってた。
 だって佐久早くん、授業中の時によく名前ちゃんのこと見ているんだもん。席替えをして離ればなれになってから、名前ちゃんは多分気が付いてないけれど、佐久早くんの席から見える名前ちゃんの背中を、佐久早くんは時々じっと見つめていたんだよ。

「わたしに気を使って好きなのに好きになれないって絶対に違うと思うから。そうなったらそうなったでわたしは大丈夫だから」

 その言葉は本心だった。名前ちゃんと仲良くなって数ヶ月だけど、悪い子じゃないって言うのわかる。古森くんと仲良くて、話しやすくて、佐久早くんが惹かれるのもわかる。分かるから苦しくて、それでいて、もういいやって思えるくらいに納得した。だってわたし、佐久早くんより、名前ちゃんのほうが好きだった。
 名前ちゃんはどうかな。佐久早くんのこと、好きになるのかな。修学旅行で告白するねと言ったのは、驚かせたいわけでも焦らせたいわけでもない。ただ、本当に自分のため。佐久早くんがわたしの好意を誤解としているなら、自分の言葉でその誤解を解きたかった。

「あの、ガモちゃん」
「うん」

 名前ちゃんに誘われて行ったバレーの試合。ちょっと神妙な面持ちで、わたしの名前を呼んだ名前ちゃんはわたしの目を真っ直ぐに見て言った。

「私、前に佐久早くんのことちょっと興味あるだけって言ったけど、ごめん。多分、もう、ちょっと好き」

 そっか、と思う。そっか、好きかあ、と。
 ライバルだね、なんて言ったけど、うまくいけばいいと思う。好きになればいいと思う。わたしのことは気にしないで。ちょっと寂しいとは思うけど、苦しくないと言えば嘘だけどわたしは多分大丈夫。この恋が実らなくても大丈夫。
 いつかこの恋はわたしにとって優しい青春の思い出になる。わたしにとって、これはそういう恋だったんだ。
 明日から始まる修学旅行。わたしたちは多分、またゆっくりと関係性を変えてくのだろう。わたしは遠い沖縄の空に想いを馳せて眠りについた。

(20.11.01)

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