たった数日で何が変わるでもなく、世はバレンタイン当日を向かえていた。去年は元也や友達に渡したり自分に買ったりしたけれど、佐久早くんという存在を前に、私のこれからの選択肢はどう変わっていくのかなとも思う。
例えば、高級チョコを手に取ったときに思い浮かぶ相手がいるとか。渡すシチュエーションを何度も考えたりするとか。
「はい元也」
「えっくれんの?」
「えっいらないの?」
「いやくれるなら貰うけど⋯⋯」
でも別にバレンタインってそこまで重要な行事じゃないし。
クリスマスが終わってお正月も終わって、じゃあ次のイベントってなんですかって考えたときに「まあ⋯⋯バレンタイン?」ってなるくらいだと思う。だから別に佐久早くんがこういうイベントが嫌で、顔をしかめてもそれはそれで仕方ないかなと思う。
ただ、催事場でチョコレート専門店が並ぶ様子はワクワクするし、普段はこんなにチョコレートを意識したりなんかしないのに必要以上に欲しくなっちゃうこの感じは結構好き。
今年もまた元也に渡すチョコレートをしっかりと用意して、目の前に掲げると元也は少し驚いた様子を見せて、私の差し出した紙袋を受け取った。
「え、てか、本当にいいの?」
「なにが?」
「いや、佐久早とか。とかって言うか、佐久早」
そう言って元也は席に座っている佐久早くんを見る。まあ言わんとしていることは分かる。私だって迷った。迷うこと自体、新鮮ではあったけど。
「でも貰うの嫌って言ってたし」
「それは知らない人だからってわけで、名前は違うんじゃない?」
「そうかな」
「彼女なんだし」
彼女。って改めて言葉にされるとくすぐったいけど、実感は伴わなかった。だって実際に私と佐久早くんの間で変わったことって、連絡の頻度が増えたくらいだ。バレー部は特に忙しいし、佐久早くんは声を大にして好きとか言うタイプではないし。
「そういえばさ」
元也が少し嬉そうな顔をして私に話しかける。
「今朝学校向かう途中で佐久早、他校の女子に呼び止められてチョコレート渡されてたけどさ」
「うん」
「彼女いるから受け取れないって。そう言って断ってた」
「おお⋯⋯」
「今までハラハラしてたけど安心したって言うか、これからはこんな気分になんのか〜って思ったわ」
意外だなって思う気持ちと、それはちょっと嬉しいかもしれないって気持ちが混ざりあう。元々人から物を貰わない佐久早くんは、きっと今年もまた誰かからチョコレートを貰うことはないだろうと思っていたけれど、佐久早くんの口から私の存在が出てきた事には素直に嬉しい。
「まあだから名前があげたのなら普通に受けとると思うけど」
たった数日で私たちの関係はどれほど変化したのだろう。鞄の中に入っている高級チョコは無事に佐久早くんの手に渡るのだろうか。
▽ ▲ △ ▼
「ちょっといい」
「あ、うん」
珍しく佐久早くんから話しかけられたのは、昼休みのチャイムが鳴ってすぐの事だった。先に学食行ってるねと言ってくれたガモちゃんに手を振ってから廊下に出て佐久早の隣に並ぶ。
学食や購買に向かう生徒が駆け足で後ろを過ぎ去っていくのを感じながら、私は佐久早くんを見上げた。
「さっき」
「さっき?」
「まあ、今朝だけど。古森に渡してただろ」
言われて元也にチョコレートを渡したことを思い出す。佐久早くんからその話題に触れるなんて、と思いながら会話を続ける。
「うん。ほら、今日バレンタインだから」
「それは知ってるけど」
「だよね。駅の広告にも大きく書いてあるもんね」
「そうじゃなくて」
「あ、ごめん」
「⋯⋯おかしい」
「おかしい?」
「普通、まずは俺だろ」
「えっ」
不機嫌な声色の佐久早くんが私をその瞳に映す。
「納得がいかない」
「⋯⋯佐久早くん、チョコ欲しいの?」
「⋯⋯別に。古森に渡して俺が貰えないのはどうかと思うって話」
それって欲しいって言うのと違うのかなと思いながら、佐久早くんの感情に私は混み上がる気持ちを抑えることが出来なかった。
「何ニヤニヤしてんだよ」
「いやだって。だってこれはねえ、仕方ないよ」
きっとこうやって知らず知らずのうちに変化していくんだろうな。これから先もずっと。細やかかつ大胆に。
「ちゃんとあるよ佐久早くんの分。佐久早くんもしかしたら受けるとの嫌かなと思って後で確認しようとは思ってたんだけど。あ、大丈夫。ちゃんとデパートで買った高級チョコレートだから安心して。むしろ食べられる佐久早くんが羨ましいくらい」
「⋯⋯嫌じゃない」
「そっか。嫌じゃないの、良かった」
「彼女なんだから、他の人とは違うだろ」
佐久早くんの瞳は柔らかく色を変えた。
そのマスクを外して頬に触れたいなそんなことを思って、そんなことを思ってしまうようになった自分自身の心の変化に私は少し驚く。
鞄の中に入っている高級チョコが無事に佐久早くんの手に渡るまで、あと少し。
(20.11.10)