38



 青春始まりを閉じ込めたような1年が終わろうとしている。
 1年前は知らなかった佐久早くんの誕生日、それどころか誕生日を祝えるなんて数ヵ月前までは夢にも思わなかった。たった12ヶ月なのか、それともまだ12ヶ月なのか。その時間の重みや、希少さはまだ私にはわからない。早く大人になりたいと思う一方で、まだ子供でいたいとも思う。
 それでも、佐久早くんが1つ歳を重ねた日に一緒にいられることは何より嬉しかった。

「佐久早くんお誕生日おめでとう!」
「別にそんなめでたいことでもないと思うけど、気持ちは受け取っておく」
「いやいや物凄くおめでたいよ。生まれてきてくれてありがとう〜、健やかに育ってくれてありがとう〜、出逢ってくれてありがとう〜って思ったもん」
「⋯⋯あ、そ」
「照れてる⋯⋯」
「違う」

 3月20日。ちょうどその日は終業式で全部活動が停止になるからと、佐久早くんは私の家に遊びに来ていた。日中なら誰もいないから気兼ねしないよと言う私の言葉に、佐久早くんは最初抵抗というか戸惑いを見せていたけれど結果的に折れて遊びに来てくれた。

「部屋片付けた?」
「ちょっとね」
「まあ名字は散らかすイメージはないけど」
「前から思ってたんだけど、佐久早くんの中の私って清潔な感じだよね。まあ、汚くはないとは自分でも思うけど」
「清潔⋯⋯まあ確かに名字のことはそう思ってるところはある」
「あの、今のうちに言うけど私多分、佐久早くんが思うほど綺麗じゃないよ? お母さんは綺麗好きだからまあその影響も少しはあるけど、でも清潔はなんか過大評価な気がする⋯⋯いや、綺麗である努力はするけど!」

 佐久早くんは私の部屋を見渡して、最後に私を見た。部屋に佐久早くんがいること。ずっとマスクを外してること。馴れないことが多すぎる。

「でもアルコールジェル持ってるだろ」
「うん」
「ハンカチも忘れない」
「⋯⋯まあ」
「コロコロは⋯⋯今度プレゼントする」
「コ⋯⋯?」
「別にいいと思うけど。そういうので。それに俺は多分⋯⋯」
「多分?」
「いや、なんでもない。それよりケーキは」
「あっそうだったね。持ってくるから待ってて」

 促されて私は部屋を出てキッチンへ向かう。ケーキを手作りしてほしいと言われたときは夢かと思ったけれど、佐久早くん曰く、私がすることをどこまで許容できるか知りたいとの事だった。
 元也に佐久早くんの好きな食べ物を聞いて梅干しと言われた時には本気で美味しそうな梅をプレゼントにしようかと考えたけれど、私も佐久早くんがどこまで許容できるか知りたかったからちょうど良い機会だった。
 少し大きめのマフィンにクリームで飾りつけをしてケーキに見立てたものをトレーに乗せて持っていく。ハッピーバースデーの歌を歌いながら運んだほうがいいのかと思ったけど佐久早くんに白い目で見られそうだと思ったので、結局無言で部屋に戻った。

「お待たせ。じゃあ一応これが例のものです」

 佐久早くんの目の前に、出来るだけ丁寧に置く。その動作とケーキを見つめる佐久早くんに問いかけた。

「どうでしょう」
「⋯⋯作ったものを出されて」
「うん」
「食べることが嫌じゃないって思った自分に驚いてる」
「おお⋯⋯!」

 佐久早くんが私を見つめる。黒くウェーブのかかった髪の毛も、眉の上の並んだほくろも、あんまり笑ったりしないその口元も、好きだと思う以外ない。
 手探りの恋はいつも勝手に気持ちを昂らせる。

「さっき名字は綺麗好きじゃないって言ったけど、俺はそうとは思ってないし、特別こういうことを意識したことはなかったけど、綺麗じゃなくても名字がいいって、多分俺はそんな風に思う⋯⋯と思う」
「⋯⋯そっか。なんか、照れるね」

 はにかんで笑えば佐久早くんは1度だけ頷いて、出したケーキをゆっくりと食べる。佐久早くんの中でどんな感情が芽生えているのか分からないけど、こうやって佐久早くんと近づいていく感覚を覚えるのが嬉しかった。

「じゃあ」
「うん。今日はありがとう」
「それは俺のセリフだろ」
「私も楽しかったから」

 体育館が使えるようになる夕方からバレーの練習があるからと佐久早くんはケーキを食べて少し雑談をすると帰る支度をして玄関に向かった。
 長くはない滞在時間は、それでもここに深い思い出を残す。

「⋯⋯じゃあ、また」
「あ、待って」

 あえて理由をつけるなら、玄関の段差がちょうど良かったとかそんな感じ。汚れのない白いマスク。佐久早くんの服の裾を少しだけ掴ませてもらって、顔を佐久早くんに近づける。今日は特に唇に何かをつけてたわけじゃないから多分、大丈夫。そんなことを考えながら唇に触れるマスクの繊維は無機質なのに、色を帯びているようにも思えた。

「⋯⋯は」
「あ、ごめん⋯⋯なんか、マスク越しなら許可いらないかなと⋯⋯嫌だった?」
「⋯⋯名字は分かってない」
「え」

 目を見開いて、そしてすぐ眉間にシワを寄せた佐久早くんはぐいっとマスクを顎まで下げる。それを理解するよりも先に耳の横に手のひらが添えられて、玄関のちょうど良い段差のその距離で、今度はちゃんと唇と唇が重なった。
 1秒あるかないかの世界はまるで永遠のようで、じんわりと残る熱はそこに存在し続ける。

「⋯⋯普通はこうだし、嫌じゃない。⋯⋯名字だから嫌じゃないってそろそろ分かって」
「ハイ⋯⋯」

 離れるのが名残惜しいとはさすがに口には出来なかった。
 でもこれからも佐久早くんとの時間は続いていく。多分、ずっと。それこそもしかしたら死ぬまで私たちは一緒にいるかもしれない。私も佐久早くんがいいな。綺麗でも、綺麗じゃなくても佐久早くんがいい。手を握って笑ってキスをして、時々怒って泣いて。
 手探りの恋は続く。新しい季節の始まりに、佐久早くんの隣で見る知らない景色を私は楽しみにしている。

(20.11.12 / fin)

priv - back - next