名前呼び



「俺の名前呼んでみて」

 前触れのない佐久早くんの発言に私は首を傾げながらも、言われた通りに佐久早くんの名前を呼ぶ。

「佐久早くん」

 桜が咲き始めた春の始まり、火曜日の朝はこうやって一緒に登校するのが決まりになった。電車に乗ればもう偶然ではなく必然的に佐久早くんがいるのだ。
 改札を抜けて学校へ向かう短くも長くもない程よい距離。週に1度のこの時間が私はより一層好きになる。3年生でまたクラスは離れ離れになってしまったけれど、不思議と悲しさはない。

「違う」
「えっ」
「そうじゃない」

 言われた通りにしたはずなのに、佐久早くんは間髪入れずにダメ出しをした。

「⋯⋯と、言うと?」

 じゃあ佐久早くんの求めてるものってなに? と隣を歩く佐久早くんを見上げる。私と視線を交えた佐久早くんは言いあぐねるように少し間を開けて、小さくこぼすように答える。

「⋯⋯古森のことは下の名前で呼んでるのに、俺はいつまでも名字で呼ばれてるなんておかしい」

 それでも少し圧をかけるような佐久早くんの眉間の皺を見て私はちょっと笑ってしまいそうになった。

「それにこれから先ずっと一緒にいるんだからやっぱりこのままは良くないと思う」

 マスクの中で完結してしまいそうなくらい小さな声に耳を傾けて、佐久早くんの言葉の意図を見つける。少し前に元也が言っていた「佐久早は多分名前が死ぬまでそばにいるつもりなんじゃないかな」という言葉を思い出して、私はちょっと言葉に詰まった。ぎゅっと心臓が優しく痛い。

「ダメ? 嫌?」

 ダメじゃない。嫌じゃない。いつまでも「佐久早くんと名字」なんて他人行儀だし、私だって聖臣くんって呼びたい。でもそれよりも佐久早くんの口から「これから先ずっと」って言われるとなんか、心が暖かくなってダメだ。これから先の未来、佐久早くんと一緒にいる未来を想像してしまってしまりのない顔になっちゃう。

「なんだよ、その顔。ダメなのかダメじゃないのかわかんねえ⋯⋯」
「ダ、ダメじゃないよ。ちょっと考えてて色々」
「考えてってなにを」
「佐久早くんとのこれから?」
「は?」
「ずっと一緒にいるんだもん、佐久早くんと名字じゃダメだよね」

 佐久早くんの言葉をそのまま言っただけなのに、私がそう言えば今度は佐久早くんのほうが少し恥ずかしそうにする。

「⋯⋯名前」
「うん」
「そっちも呼んでみて」
「聖臣くん」
「⋯⋯ん」

 たかが名前、されど名前。呼び合えばまた少し私達の距離が近付いた気がする。

「聖臣くん、聖臣くん、聖臣くん」
「呼びすぎ」
「せっかくだから馴染ませようかなと」
「別にそんなのわざわざ今しなくたって、これからは長いんだから勝手に馴染むだろ」

 聖臣くんの想像する未来はどんな未来なんだろう。その中で私はどんな風に聖臣くんと関わっているんだろう。もっと知りたい。もっと近付きたい。早く大人になりたい。でももうちょっとこのままでもいい。
 代わり映えのしない毎日は嫌いじゃない。当たり前の心地よさも知っている。でも、これから何度も巡り行く季節は私達を変えていく。

「さく⋯⋯聖臣くん」
「あれだけ馴染ませようとしておいて早速間違えそうになるなよ」
「面目ない⋯⋯」
「いいけど。なに?」
「桜の花弁が地面に落ちる前に掴むと幸せになるってジンクス知ってる?」
「知らない。野晒しにされた桜の花弁は掴みたくない」
「情緒が……!」

 知らないと言う聖臣くんに私の知ってる桜の花弁のジンクスを説明する。興味ないだろうとは分かっていたけれど聖臣くんは「ふうん」と曖昧に相槌を打つだけだった。打つだけましか。

「まだ咲き始めだけど、今年は1枚くらいいける気がしてて」
「⋯⋯やりたいなら止めないけど、後で手は洗って」
「洗います。聖臣くんは一緒にやってくれないから取れたら写真だけ送るね」
「⋯⋯俺は別に桜の花弁なんかに願わなくたって幸せだけど」

 呆れているのか、もう話題を終わらせたいのか分からないけれど、聖臣くんはそう言って私を一瞥した。
 視線が交えて、またそのマスクの中で完結してしまいそうなくらい小さな声で聖臣くんは私の名前を口にした。

「名前、いるし」

 春が来る。幸せを運ぶ春がやってくる。

(20.11.18 / 60万打企画リクエスト)

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