許容範囲



「ん」

 聖臣くんが手を差し出す。あっこれは今、手を繋いで良いってことだ! と私は鞄からアルコールジェルを出し素早く手に塗り込むと差し出された聖臣くんの手のひらに私のそれを重ねた。
 部活の終わるタイミングが合いそうな時はお互いに待って一緒に帰るようにしている。夜の暗さがそうさせてくれているのか、その時間、聖臣くんはこうやって手を差し出してくれることが多い。

「⋯⋯あのさ」
「うん?」

 夕方は下校生で埋まるこの道も、この時間ともなれば制服姿は私達だけだ。大通りに沿って歩く時、聖臣くんは絶対に車道側を歩いてくれることに私は早いうちから気がついていた。
 か細く絞り出された聖臣くんの言葉に私は耳を傾ける。

「気遣いは嬉しいし、ないよりはあるほうがいいけど、別にそれ、絶対じゃないから」
「え、なにが?」
「アルコール消毒」
「そうなの!?」
 
 絶対じゃないの!? と私は目を見開いて聖臣くんを見上げた。見上るには高過ぎる聖臣くんの身長は時々首が痛くなるけれど、それでもこれは目を逸らせない案件だった。それは聖臣くんのアイデンティティーを揺るがす事実なのでは? と動揺する私に聖臣くんはため息を吐く。

「確かに泥塗れとかは嫌だし、あとは汚いとこ触った後とかも⋯⋯まあ、うん。でも今みたいに普通の時は、普通に繋げる」
「そっ⋯⋯かぁ⋯⋯」
 
 普通に繋げる。その言葉を頭の中で繰り返しながら、聖臣くんにとっての「汚いとこ」ってどこのラインだろうと考え込む。数歩先で繋がれた手に力が込められて、聖臣くんが立ち止まり必然的に私も立ち止まる形になった。こちらを見つめる聖臣くんと対峙する。

「聖臣くん?」
「⋯⋯だから、こういう繋ぎ方でも全然いいし」

 握っていた手を1度離した聖臣くんは、そう言って次の瞬間指を絡めるような繋ぎ方をした。指と指の間に聖臣くんの硬い指を感じて、より一層距離が縮まったような錯覚に陥る。
 心地の良い羞恥心が込み上げてまた聖臣くんを見上げた。決まりが悪いのか、私から視線を逸らすように明後日のほうをみる聖臣くんは多分、照れている。

「うん。⋯⋯うん、そっか」

 繋がれた手をそのままに、どちらからともなく歩き出して駅を目指す。私が今、わざと歩調を緩めたことを聖臣くんは気が付いただろうか。

「前も言ったと思うけど」
「うん」
「名前と触れるのは嫌じゃない⋯⋯て言うか、触れたい」
「えっ⋯⋯!?」
「外だしこれ以上はしないけど」

 心拍数が最高潮に上がったような気さえした。距離の縮め方を探っていく日々は、私にとっても聖臣くんにとっても未知の世界だ。手を握った時に生まれる感情。ハグをしたときに感じる暖かさ。キスをした時の名残惜しさ。
 もしここが外でなければキスくらいはしていたんだろうか。そのマスクを外して優しく唇を重ねていたんだろうか。

(キスなんて唾液の交換だと聖臣くんは軽蔑した瞳で語りそうなのにな⋯⋯)

 ならばせめて今日、遠回りして帰りたいと言うくらいは許してくれるだろうか。

「あの、聖臣くん」
「なに?」

 赤信号で立ち止まった時にその名前を呼んだ。ここから駅の入り口は見えている。もう200メートルもしないうちに駅にたどり着いてしまうだろう。それは今日の私にとってはため息をつきたくなるくらい短い距離だった。

「駅、もう見えてるけど⋯⋯もうちょっとだけ遠回りして帰りたい」

 今度は私が繋がれた手に力を込めた。いいよって言って。困った顔はしないで。お願い。そう願う私に、聖臣くんの言葉が降ってくる。

「同じこと考えてた」
「ほ、本当に?」
「うん。もう少し駅までの道が長くてもいいんじゃないかって」
「わ、わかる!」
「部活で疲れてんのに、おかしいよな」
「そうだね。おかしいよね」
「でも名前と一緒だとそういうおかしいことも考える」

 赤信号が青信号に変わる。手を繋ぐ私達の横を過ぎ去っていく人々。ただそこに立ち止まったままの私達は彼らに置いていかれる。「こっち」聖臣くんがそう言って信号とは反対の方向に歩き出した。
 目的地はない。ただもう少しだけ時間が許す限り一緒にいたいという思いだけで進む道。

「名前」
「なに?」
「外じゃなかったら多分、キスしてた」
「ん!?」
「とりあえずそう思うくらい好きだなって思ってるのは理解してて」
「は、はい⋯⋯」
「まあ⋯⋯自分でもその感情は驚くけど」

 私達に残された夜の時間は短い。点滅する感情を抱えてゆっくりと夜を歩く。今日も、きっと明日も明後日も私たちは未知を知ろうとする。

(20.11.21 /60万打企画リクエスト)

priv - back - next