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『何かあったらすぐに俺に連絡して。俺に連絡つかなかったらニコラスでも良いから』

 スマホに届いた連絡にはそう書かれてあった。
 徹と別れた後、シャワーを浴びた私は意識が遠くに飛んでいくような感覚の中ですぐに眠りについた。空腹や時間を考える余裕もなく夢路についてふと目を覚ませば外はすっかり暗くなっており、部屋に備え付けてある時計を確認すると予定より寝すぎたことに頭を抱える。

「うわ、もう夜じゃん⋯⋯」

 夜10時。機内食を食べてから何も口にしていない私のお腹が情けない音を奏でる。こんな時間だけどせめて軽く食べてから寝ようと持ってきたパーカーに腕を通した。

(何かあったらって例えばなんだろ)

 心配した顔の徹が頭に浮かぶ。確かにアルゼンチンは日本と比べて治安が悪いとは思うけど。でもトラベルガイドを隅々まで読んでアルゼンチンにおける軽犯罪の手口も勉強したし。ここは地方だしブエノスアイレスみたいな大きな都市と比べたら被害も少ないだろうし。むしろ英語が通じなかったときにボディランゲージでどうにかなるかどうかのほうが心配だし。
 街歩き用バッグの中身を整理しながらそんな事を考えると急にいろんなことが不安になってきてしまい、一応徹には逐一報告するようにしようと決めて先程のメッセージに返信をする。

『寝てて今起きた。お腹空いたから隣にあったコンビニっぽいお店で何か買って食べるね』

 食べられるものを買ったらすぐに戻ってこよう。
 温かい格好に身を包みホテルを出て隣にあるコンビニらしきお店に入ると、お世辞にも清潔とは言えない店内に私の警戒心が強まる。レジにいた現地の40代くらいの男性が私を一瞥し顔をしかめた。アジア人は目立つだろうなと思っていたけれど、居心地の悪い視線に緊張するしかない。

(アルゼンチンの洗礼を受けている気分⋯⋯)

 何が美味しいかもわからないまま、とりあえず食べられそうなものをチョイスして会計を済ませる。金額を言う声だけが店内に響いて私は言われたままのお金を差し出した。一刻も早くホテルに戻りたい。昼間だったらこんな風には思わないのかもしれないけれど、帳の下りた夜ともなればさすがに怖いものは怖いと思うしなかった。

『えっ大丈夫?』

 なんとか食料を確保してホテル戻り、スマホを確認した時に表示された徹からのメッセージに必要以上に安堵した。大丈夫だけど大丈夫じゃない。今まで行ったことのあるどの国よりも雰囲気が怖い気がする。私の勝手なイメージなんだろうけど、それでもやっぱりアジア圏に旅行に行くのとでは全然感覚が違う。
 多分、徹が言っているのってこういうことなんだろうな。

『夜のコンビニ怖い』
『ごめん、俺が何か届けに行けばよかった』
『ううん。毎回そうしてもらうわけにもいかないし』
『何かアクシデントあったりした?』
『ないよ。私が単にビビっただけ』
『俺も来たばっかりの頃は怖かった。今は慣れたけど』

 徹にも私みたいな時があって、それでももう現地に馴染むように生活している。スペイン語だってきっとたくさん勉強したんだろう。私の知らない努力を徹はこの場所で積み重ねてきたのだ。

『帰国までには私も少しは慣れると良いんだけど』 
『大丈夫⋯⋯とは言えないけれどしっかり警戒心持って毅然としていればある程度の事は多分なんとかなると思うから』

 時差のないやり取り。こうしてメッセージを打っているけれど、同じ街の中に徹がいるのだ。昔みたいに少し歩けばすぐに会いにいける。久しぶりに私達はそういう距離になれた。
 だけど遠い。徹はいつも近くて遠い。

『うん。しっかり警戒心持って行動する。何かあればすぐに徹に連絡する』
『そうしてくれると俺も安心出来る』

 コンビニで買ってきたサンドイッチを口にする。日本のコンビニのようにお弁当は豊富じゃなくて売っているものは日用品やお菓子が多かった。スーパーがどんな雰囲気化はまだわからないけれど、結果的にコンドミニアムのホテルにしたのは正解だったかもしれない。毎食こんな感じのご飯だとさすがに心が折れる。

(明日はアルゼンチンの美味しい食べ物を食べる!)

 先程まで寝ていたからお腹が満たされても眠気はやってこない。
 明日、それでも私は徹の隣を歩く。近くて遠い好きな人の隣を。もう学生の頃のように制服は着ていない。部活で遅くなった徹と偶然外で会うこともない。戻らない過去の私を呼び起こす。

『明日はホテルの前まで迎えに行くから』
『わかった。ありがとう』

 せめて、あの頃の私に恥じない私でいたいのだ。徹を好きでいた時間を意味のあるものにするためにも。

(21.03.14)


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