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「おはよ。よく眠れた?」

 朝の光が差し込んで窓際にある間接照明が光っているようにも見える中、ホテルのロビーにあるソファに座っていた徹は私がエレベーターで降りてきたのを視界に入れるとそう言った。

「よく眠れたどころか寝すぎた」
「あはは。時差ボケだね」

 昨日も今日も徹は変わらない。
 徹の目に映る私は今でも日本にいた時と変わらないままなのだろうか。それとも大人になっていく私の日々の変化を感じ取ってくれているのだろうか。昔と変わらない私への接し方に安堵すると共に何かを期待する。
 ドラッグストアで買っていた化粧品をデパートで買うようになったことも少し高いヒールで街を歩くようになったことも、徹は知らないけれど会わなかった時間は確実に私を大人にした。

「夜中に目が覚めたんだけど夜だから寝ないとって無理やり寝たんだよ」
「時間真逆だしね。お腹は空いてる?」
「少し。でも今日は美味しいもの食べるって昨日から決意してたんだ!」
「なにそれ」
「コンビニご飯が期待外れだったから」
「じゃあ今日は及川さんがとびきり美味しいお店に連れて行ってあげよう」

 徹が笑う。その笑顔を見る度に私の胸は優しく抱かれる。ほんのりと痛みを伴って、この揺蕩うような気持ちをこれから手放すのだと思うとやっぱりそれは少しだけ悲しいと思ってしまった。
 フロントにルームキーを預けて繰り出した外は雲1つない快晴で眩しいくらいの太陽に思わず目を細める。

「アルゼンチンの料理、ネットで調べたけどどれもこれも食べたことないものばっかりだった」
「日本でアルゼンチン料理食べる機会ってそうなくない? 俺もこっちきて初めて食べたし」
 
 多分、いつも通り。いつも私と徹はこんな風に会話していたはず。
 こうやって隣を歩くのは片手で数えられるくらい最近のことのはずなのに果てしなく昔のことのように思える。私達がまだ制服を着て学校に通っていた頃。家が近所でいつでも会いに行けた頃。その思い出たちはどんどん遠ざかってしまうのだろうか。あの太陽はあの頃と何も変わらないように思えるのに。

「俺、車ないけどもし遠く行きたかったらチームメイトに頼むから遠慮なく言って」

 人口約10万人が暮らすサンフアンでの主な移動手段は車やバイクだ。街の西側には他の都市とサンフアンを結ぶ高速バスターミナルがあり、そこからは近くの観光地へ向かうバスも出ている。市内を走るバスはいくつかあるもののバスストップらしいバスストップもなく、完全に現地に暮らす人向けだ。徹に教えてもらったことを思い出しながら周りを見渡す。
 昨日は考える余裕なんてなかったけれど見たことのない外車やくたびれた日本車が路肩に停められていて、日本にように必要以上にキレイに舗装されていない歩道にこの街の経済発展の度合いが伺えた。

「なにからなにまですごいおもてなししてくれるね」
「わざわざ日本から幼馴染が来てくれたのに何もしないような酷い男に見える俺?」

 茶目っ気を混じえたように徹は言う。
 思わない。徹は人を大切にできる人だから、きっと真夜中に私が「トラブルが起きたから来て」と言えばホテルまで来てくれるんだろう。

「徹さー、おっきくなったよね」
「え、なにが?」
「身体」
「なに急に! 太ったってこと!?」
「そんな急に悪口言うわけないじゃん! 筋肉ついたよねってこと」
「ビビった。早々に悪口言われたかと思った」
「私をなんだと思ってるの」
「岩ちゃんなら言いそうだけど」
「はじめのは愛があるから」

 すれ違う現地の人が私達を一瞥するのはやっぱり見た目や耳に届く言語が珍しいからなんだろうか。居心地の悪さとは少し違う、妙な感覚を覚えながらそれでも私は徹の隣を歩く。
 徹の暮らす街はここ。四方八方見たことのない景色が続くこの街。高層ビルはないし、地下鉄もないし、日本食を食べられる場所があるかどうかすら怪しいこの場所で徹は日々を過ごしている。

「アルゼンチンの暮らしには馴れた?」
「んーまあまあかな」
「まあまあか」
「日本とは勝手が違うことも多いし、見てわかると思うけど小さい街だから不便なことも多いよ」
「旅行と違って暮らすとなると大変なことはたくさんあるんだろうね」
「手続きとか最初すっごい面倒だなって思ったけど、ここに来たことに後悔は何もないから、まあ何事もちゃんとやるようにしてる」
「そっか。だよね」

 笑う徹は嬉しそうだった。多分サンフアンでバレーを出来る事が楽しいんだろうな。目標があって目的があって、徹の進みたいと思う道の上に居られてるのなら、私も嬉しいと思う。例えそれが日本から遠く離れた場所だとしても。

(21.03.21)


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