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 2日ぶりに会った徹が開口一番に言った言葉は「本当にごめん!」だった。顔の前で手のひらと手のひらを合わせて、顔は少し俯かせている。
 朝早くにホテルに迎えに行くと早い時間を指定され、なんとか準備はしたけれどまだ残る眠気が思考能力を鈍らせる。ぼんやりとした頭で考えたけれど、徹が謝るような事に思い当たりはない。

「え、なにが?」
「2日間会えなくて」

 ホテルのロビーでそんなことを真面目に徹が言うものだから私は思わず笑ってしまいそうになった。なにそれ。寂しくて寂しくて片時も離れたくないカップルじゃあるまいし。
 徹がそばにいない日々をもう何年も過ごしてきたんだからたったの2日くらいもうなんとも思わないよ。口に出すことはなく、朝の眩しくて新しい光がロビーに差し込んで私は少し目を細めた。

「2日間会わなかったくらいで私怒ったりしないし」
「そうかもしんないけど女の子が1人で南米だよ!? 俺がハラハラする。よくおばさんとおじさんオッケー出したと思ってるし。俺が名前の父親だったら絶対反対するね」
「行くって言ったときは一瞬、え? って顔されたけど、徹のとこに行くって言ったらわりとあっさり見送ってくれたよ。名字家の徹に対する信頼は厚いね」

 それに今徹はこうして会いに来てくれている。そして同じ街にいる。それだけで私は十分だ。保護者の気持ちで私を気にかけてくれているんだとしても、旅の目的を考えれば本当は少しだけ離れていたほうが良いのだ。

「1人で過ごしてた2日間どうだった? トラブルに巻き込まれなかった?」
「わりと快適だったよ。1人で気ままにいろんな場所歩いて、何回かバスもチャレンジしたんだ。お気に入りのカフェも見つけてね! まあ確かに徹がいたら安心するし楽しいんだとは思うけど毎日会うために来たわけじゃないし。徹だってバレーあるし。ちゃんと気をつけなさいっていう徹の教えは守ってるから安心してよ」

 例えば、ホテルを出てまっすぐ進んで角を曲がれば小さなスーパーがある。その隣には薬局が並んでいて、さらにその向かいにはテイクアウト用のメニューが豊富な飲食店があるとか。
 そんな風に私が自分の足で歩いて自分の目で見て知った情報がたくさんあるんだということを徹に伝えたら、徹は驚くかな。私だっていつまでも子供じゃないんだよ。自分の意志で日本からアルゼンチンに行けるのは私だって同じなんだよ。それはなにも徹だけの特権じゃない。同じ景色は見れずとも、近い場所で同じ方向を見つめることは出来る。

「まあ⋯⋯悪い人たちばかりじゃないのは確かだけど」

 10日間かけて、私はゆっくりとゆっくりとこの街を知るだろう。街並みとか、空気や人の笑顔とか。そしてこの街にようやく近づけたと思える頃、私は遠ざかる。この街からも、徹からも。ちょうどこの旅の折返しを迎える5日目の今日、振り返る思い出は苦しくなるほど優しい。その思い出だけがいつまでもいつまでも私の胸に宿るのだ。

「私のことより徹だよ。練習忙しかったんでしょ? せっかくの休息日に私と会ってて良いの?」
「良いに決まってんじゃん」
「徹が大変じゃないなら私は嬉しいけど」

 急に他チームとの練習試合が決まったとかなんとかで忙しくなったからこそ、徹とはこの2日間結局一度もご飯に行くことはなかった。2日目の夜に時間が出来たら会うようにすると言っていた自分の言葉に対する責任の為に徹は開口一番、私に謝ったんだろう。

「そう言えば公開練習が名前が俺の部屋に泊まる日の前日にあるんだけど、来る?」
「行く!」

 徹の言葉尻を覆うように言った。「そう言うと思った」そう言って徹は笑う。その笑顔は高校生の頃を彷彿させて、私の気持ちは一瞬だけ、飽きずに何度も何度も試合会場へ足を運んでいた高校の頃の自分に戻った。
 試合に行くのを楽しみにしていたあの気持ち。何を着ていこうか迷ったこと。お疲れさまって家に帰ってくる2人に言う玄関前。

「行く。絶対に行く。すっごい楽しみ」

 今も昔も私が出来るのは徹の試合をそらすことなく見つめること。私がしてあげられることは本当に些細なものなんだろうけれど、だからこそ出来ることを全力でする。それだけはどんな未来がやってこようとブレることはない。

「じゃあ関係者席の確保してもらう。それで今日は会えなかったお詫びって程でもないんだけど、名前をちょー凄いところに連れて行こうと思ってて」
「ちょー凄いところ?」

 少しわざとらしく徹は言う。口に出してなおかつ色々考えてみたけれど「ちょー凄いところ」がどこなのかは予測もつかなかった。昨日遠出出来る準備はしておいてって言われたから、市内ではないと思うんだけど。

「世界遺産のイスチグアラスト・タランパジャ自然公園群行くから今から4時間バスの旅、一緒によろしくね」
「え」

 さすがに4時間バスの旅はヒント与えられても正解出来なかったと思う。

(21.05.11)


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