18



 バスに4時間も乗るって結構しんどいんじゃないかなと思っていたけれど観光ツアー会社が用意したバスは、小型のバスではあるものの日本のそれと比べても非常に快適だった。
 ガイドなしに世界遺産である公園の中を回ることはできないらしく、周りは観光客しかいない。流石に日本人は私達だけでアジア人らしい見た目の人も誰一人としていなかった。運転手曰く日本人がここまでやってくるなんて年に数えられる程度らしい。

「もっと乗り心地悪いかなって思ってた。高速バスみたいな感じで」
「観光ツアーの会社出来るだけ良いところ選んだんだよね。当たり外れあるし」
「さすが」
「4時間もバス乗って着く頃コンディション最悪は俺も嫌だし」

 乗る時にフリーのミネラルウォーターをくれたり座席も広くて素材も柔らかいから飛行機の長旅を考えるともはや天国とさえ思える。感動を抑えきれずそう言うと徹は声を漏らさないようにして笑った。

「大げさでしょって思うけど、わかる。日本からずっとエコノミーは本当に辛い」
「まあ社会人になってもビジネス乗るなんて贅沢私には出来ない気もするけど」

 辛うじて舗装された道を走るバスの窓からは果てがないとすら思える景色が続く。どこまでも延びる大地に、人間とはきっとこれからも共存しないであろう木々が生い茂る。国土約278万平方キロメートルが見せる景色は日本では絶対に目にできない景色だ。


◇  ◆  ◇


「⋯⋯名前、名前」

 徹の優しい声が心地よく耳に届いて重たいまぶたを開けた。途中の休憩を挟んでから到着までずっと寝ていたと理解したのは「おはよう」と徹が言ったからだ。

「よだれ」
「えっうそ!」
「ごめん、冗談」
「ちょっと!」

 バスを降りて外の空気を肺にとりこむ。そびえ立つ赤茶色の岩壁。雲一つない快晴の空。世界からほんのすこし色が消えてしまったんじゃないだろうかと思えるようなコントラストに息を飲む。
 東京都よりも大きいこの砂漠地帯。この場所に2億5千万年分の歴史が詰まっているのだ。

「なんていうかさ、世界ってやっぱり広いね⋯⋯」

 こぼすような感想に徹が笑う。

「なんせ日本の裏側だからね」

 厳密に言えば4時間と20分の時間を要してバスは目的地へ着いた。公園内は専用の車両で移動しなければならないらしく、2階がオープントップになっているタイプのトラックとバスを合わせたような変わった乗り物に乗り込む。
 ガイドさんの言葉は何一つわからなかったけれど、見ているだけでも圧倒される景色に私はやはり息を飲むしかなかった。私は考古学に精通しているわけでも興味があるわけでもないけれど、日本の裏側が見せてくれるこの歴史の積み重ねには圧倒される。

「俺も初めて来たけどやばいね」
「ね。やばいね」
「まずボキャブラリーがなくなる」
「私も徹も小学生みたいな感想じゃん」

 同じ景色を見て同じように心を踊らせているのに、私達のこれから先の人生は重ならない。寂しいな。そう思うのはもうどうしようもないことで、でもだからってどうにかなるわけでもないとわかっている。わかってしまえるくらい、私達は大人になった。

「ここまで自然の凄さを見せられるとある程度の悩みとかなんかどうにかなるんじゃないかなって思っちゃうよね」
「名前悩みあんの?」
「まあ⋯⋯それなりに?」

 それが深刻なものでないと伝わるように意識して言う。徹のことも、大学のことも、将来のことも。大なり小なり悩みは尽きないけれど、それは私が自分で解決しなくてはならないことだ。「好きを手放す」という選択をした私の決断はこの地球でどれくらいの重さがあったんだろう。

「悩みくらい俺が聞くのに」
「え?」
「時差があっても悩みくらいいつでも聞くから普通に連絡してよ。岩ちゃんもだけど青城のみんな用事あるときしか連絡してくれなくてめっちゃ寂しいんだよ⋯⋯!」

 徹の言葉にふっと気が抜けて、私は笑ってしまった。
 視線の先は同じでも私が見る景色と徹が見る景色はどんどん離れていってる。けれど、もうそれでもいいのかもしれない。長い長い地球の歴史の中で私のこの感情なんてちっぽけなものだ。あと半分でこの旅も終わる。一瞬でも同じ景色で心が躍ったのなら、それだけでもう。

「アルゼンチンにいても徹は徹だね」

 残りの日々の中で私はまた徹に心が持っていかれる時があるかもしれない。でも今少しだけ零せた気がする。ほんの少し、この広大な大地に私が長年育ててきた恋心をそっと置くように。この地層の分厚さには敵わないけれど、私だっていろんな感情を重ねてきた。何重にも何重にも。
 徹に出会ったことが私の人生の岐路だったとして、徹と出会ったことで選択したものがあったとして、それはそれで間違っていなかったと思う。でももうこれからの私の人生に徹はいない。離れた景色の中で生きていく。

 望む関係性にはなれなかったけれど、過去に後悔はない
 旅がまた少し終わりへと近づいた。

(21.05.14)


priv - back - next