最後に徹の部屋に入ったのは高校生のときだったけれど、その頃より部屋に置かれたアイテムがスタイリッシュになっている気がする。徹の部屋を見渡して思ったのはそんなことだった。
「一応片付けたけどそんなまじまじ見ないで」
「いいじゃん。徹は一人でもしっかり生活してますよっておばさんにも言わないといけないし」
「恥ずかしいからやめてね!?」
こんな風に直接顔を見て笑いあえるのも明日で終わりだ。一夜を過ごせば私はまた飛行機に乗って日本に帰るなんて、ちょっと実感わかないや。
9日目。ホテルをチェックアウトした私は迎えに来てもらった徹とタクシーに乗って徹の暮らす部屋へやってきた。至って普通の間取りの部屋は一人暮らしにはちょうど良さそうで、靴も脱ぐようにしてると言う徹の言葉に私はどこか安堵した。
「スーツケース玄関のところに置きっぱなしでいいんだっけ?」
「うん。必要なのサブバックに入れてる」
「貸せるのは貸すから言って」
「はーい」
気心の知れた会話。トキメキとか期待とかそういうものからは遠い空気。異性が同じ屋根の下で1泊するっていう状況には何かしらの思惑が隠れていても良いはずなのに、私と徹ではただの幼稚園のお泊り会と何ら変わりがない。
だからこそ徹が今日こうすべきと提案したのはわかっているけれど。
「冷蔵庫の中適当に見て足りないものあったら買いに行く?」
「そうだね。あ、あと日本から持ってきた調味料とかあるからキッチンのところ置いておくよ。徹自炊でしょ? 新品だから残り使ってね」
「本当にたくさん持ってきてくれたんだ」
「まあ、ないよりはと思って」
徹は壁に体重を預けて、私がサブバックから調味料を取り出す様子を見つめていた。
「⋯⋯そんなまじまじ見ないで」
「それさっきの俺のセリフじゃん」
見つめ合って笑う。最後の日くらい、寂しくなるような思考は心の奥にしまおう。きっともうこんな日は来ないから。出来るだけ軽い調子で気持ちを伝えられるように。
◇ ◆ ◇
「一緒に買い出しなんていつぶり? 小学生とか?」
「え〜もう全然覚えてないんだけど」
海外特有の巨大スーパーは商品の多きさも違えば買い物かごだって全然違う。スーツケースみたいに床に転がして使う大きなかごを持った徹は、どこに何があるのか全て把握しているようで迷うことなく生鮮食品のコーナーへ向かっていった。
日本でも目にしないフルーツやお肉の塊、お菓子のパッケージ。いつ見ても知らないものばかりでワクワクする。どんな味なんだろうとか、どんな風に調理して食べるんだろうとか、スーパーは来る度に好奇心を刺激してくれる。
「確か、小学校低学年くらいの時に徹とはじめと一緒に3人でおつかい行ったこともあったよね」
「うわ、懐かし! 俺それ覚えてる。名前が途中ではぐれて泣いたよね?」
「徹がお釣りでお菓子ほしいってわがまま言ったのを私は覚えてるよ」
「⋯⋯どれもこれも岩ちゃんが解決してくれたのを俺は今思い出した」
あれから長年を経て私達は大人になったし、ずいぶん遠いところまで来てしまった。あの頃はこんな未来がやってくるなんて想像すらできなかったのに。
「そう思うと俺たち、長いこと一緒にいたね」
「え?」
「ほら、岩ちゃんは部活も一緒だし同性だし必然的に一緒にいること多くなるのはわかるんだけど、名前はなんか、そうじゃなくても一緒にいるのがしっくりくるっていうか⋯⋯家族に近い感じ?」
徹の瞳の中に私がいる。
徹の瞳に映る私はどんな私なんだろう。そう思うことは何度かある。徹は私がこんな気持ちを抱えているなんて知らないし、この旅だってただの旅行だって思ってる。言ってしまったら揺らぐだろうか。その瞳の中の私は。徹の中の私は。
徹にとってそれだけ近い存在になれていることは私にとって良いことなのか、悪いことなのか。沸々と込み上がる疑問への答えを私は何一つ持ち合わせていなかった。
「家族⋯⋯」
「俺がお兄ちゃんかな」
「えっ私がお姉ちゃんでしょ?」
食材を漁りながらスーパーの中を並んで歩いても、私達は本当の家族にはなれない。「ただの幼馴染」ですら揺らがせる言葉を私は持っていて、そしてそれを徹に明け渡そうとしている。
仕方ない、もうそろそろ手放さないといけない。もうずいぶん長いこと育ててしまったから、枯れるにはちょうど良い頃合いだ。そう自分に言い聞かせて納得させる。私が徹に気持ちを伝えてもきっといつかは「ただの幼馴染」に戻るんだから。
「俺もう実姉で十分なんだけど」
「あはは。徹のお姉ちゃんもパワフルだしね〜」
「この前もさぁ、次帰国するときあれ買ってきてこれ買ってきてって色々注文受けて⋯⋯」
楽しそうに話す横顔を見つめる。あのさ、徹。少しだけ困らせちゃうけど許してね。伝えたら私はちゃんと今までどおり「ただの幼馴染」になるから。この旅が終わるまでは「長い片思いをしていた幼馴染」でいさせてね。
「なんだかんだちゃんと頼まれたもの全部買う徹の姿まで想像できちゃう」
何も知らない徹はいつものように笑顔を見せるだけだった。
(21.05.22)