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「え⋯⋯普通に美味しい。ていうかめちゃくちゃ美味しい」
「そんなに驚いて言うこと〜?」

 料理をテーブルに乗せて、一口食べた徹が言った感想はそれだった。私がここまでちゃんと料理を作るのは徹の中では予想外だったのだろうか、驚いた顔のまま私の事を見つめている。

「うわ、お昼もフードコートにしないで作ってもらえばよかった」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」

 お昼に食べたパスタを思い出しながら私は笑った。徹の中の私は不格好なオムライスで止まっているんだろうか。
 茜が指す空。燃えるような赤が覆って、一日の終わりと名残を告げる。今日の後悔を明日に持ち越すなよと言われているみたいで、眩しさに目を細めた。
 どうあがいても勝手に時間は進んじゃうなら少しでも強くその心に残りたい。そう思うのはまだ許されるはず。

「作ってるときも手際いいなとは思ってたんだけど」
「うん」
「そっか。これが名前の選んだ未来かって、なんかすごく感動した」
「感動は大げさだよ。まあでも、徹が日本飛び出てから、私も一生懸命勉強してきましたし?」

 私の作った料理が一口、また一口と徹の胃袋に収まる。少しお腹空いてきたなって思っていたはずなのに、その事実がやけに嬉しくて胸がいっぱいで、顔を覗かせていた空腹はどこかへ飛んでいってしまった。

「名前が突然管理栄養士目指すって言った時は正直ちょっと驚いたけれど、こうやって考えると名前に合ってるんじゃないかって思う」
「覚えてたの?」
「だって名前が自分から将来のこと明確に言葉にしたのその時が初めてじゃん」
「気に留めてなかったから忘れられてるのかと思ってた⋯⋯」

 思い出は私だけに残るものではない。今こうしてあの時のことを徹が覚えてくれていたように、今日の日のことも未来の徹はきっと忘れずにいてくれるんだろう。
 何気ない日常を徹が覚えてくれていたことが嬉しい。

「まあ本当に急だったからなんで管理栄養士? とは思ったけど。でもさ、俺も少しは栄養学勉強してるし名前には及ばないけど、ちゃんと俺の知らないところで名前も頑張ってきたんだろうなってわかるから、やっぱり今日こうやって俺の部屋来てもらって良かったなって思ってる」

 徹に気づかれないようにぎゅっと握りこぶしに力を込めた。そう思ってもらえただけでも私、今日という日を好きになれる。
 管理栄養士は名称独占の資格だから、その資格がなくたってこんな風に食事サポートをすることが出来るけれど、それでもやっぱり形に残る証明を持ちたい。頑張った証を目に見える形にして、私は私の夢をこれからも頑張っていきたい。徹がそうであるように。

「徹がいたから、はじめがいたから、私は選んだんだよ」
「え?」
「いつも応援してるだけだったのが歯がゆくて、何かできれば良いのになって思って、私に出来ること調べて、それで選んだ。管理栄養士になろうって。そしてスポーツで活躍する人の食事のサポートする仕事をしたいって。2人がいなかったら興味を持つこともなかったかもしれないから、徹にもはじめにも感謝してる」

 スポーツ分野に特化したゼミや実習先を選んで自分の未来を見据えてきた。隣に立つことができなくたって、目線の先が異なっていたって、夢のために前進し続ける徹を私なりにこれからも応援していきたいから。

「オムライスだってもう不格好じゃないよ。試験にも合格して、日本代表の栄養指導出来るようになるくらい、徹に負けないくらい我を張ってく。辛かったりしんどかったり、ああもうやめようかなって思う時もあるけど、でもやっぱり自分の夢を叶えられるのは自分だけだから頑張るよ、私も。昨日徹の試合観て改めてそう思った」

 徹はじっと私を見つめていた。愛しさを込めたれた瞳を向けられたことは一度だってないけれど、それでもこうして徹に見つめられるのは嫌いじゃなかった。
 私達は長く共にいて、恋人にはなれなかった。それでもそれ以上の時間を重ねてきた。だから、いい。徹の特別になれなくても。失い難い大切な人になれなくても。ひとりで育てた恋は、ひとりで終わらせるのだ。
 こぼした感情を拾うことがないよう。振り返ってしまわないよう。いつか徹が知らない誰かと隣り合って、私も違う人を好きになって、そんな未来がやってきても徹を好きでいた時間だけは私の人生の宝物だと思っていたい。

「名前」

 カトラリーを置いて徹が私の名前を呼んだ。既視感。
 背筋を伸ばして徹を見つめ返す。徹の瞳はどこか清々しく迷いはなかったように見えた。いや、実際徹に迷いはなかったのかもしれない。

「俺、アルゼンチンに帰化しようと思ってる」

(21.05.25)


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