じっと言葉もなく徹は私を見つめる。その言葉の真意をはかりかねているのか、思案するような視線の物言いは少しだけ私に緊張感をもたらした。
「そんなの、俺だって好きだよ」
私が紡いだ言葉を徹はそう解釈したのか。
だよね。わかってた。だって徹は一度だって「私が徹の事を好きかも」なんて想像したことないもんね。頭を振って、出来るだけ丁寧にゆっくりと言葉を続ける。
「そうじゃなくて、そういう好きじゃなくて、一人の異性として好きだった」
自分の言葉によって胸が締め付けられるのを感じながら零してゆく。空気を一転させてしまった私の言葉は、きっと今徹を困らせている。そして戸惑わせている。ごめん、だけど見返りを求めているわけじゃないから最後まで聞いてほしい。
「私、どうしてもそれを言いたくてここまで来た」
「ここまでって⋯⋯だからあんな急に来るって言ったの?」
「大学卒業する前にずっと抱えてたどうしようもない感情に区切りをつけようと思って、まあ社会人になったらアルゼンチンに行くことも出来なくなりそうだからっていう理由もそれはそれで本当なんだけど」
「好きって、いつから?」
「んー⋯⋯いつからだろう。多分小さい頃からじゃないかな」
力を抜いて笑みをつくる。出来るだけ禍根を残さないように。出来るだけ徹が悩んでしまわないように。私の好きは私だけで終わらせるって決めたんだから。
「徹、全然気づいてなかったでしょ?」
徹は短くため息を吐いて少し乱暴に頭をかいた。珍しい。そういう感情を私に見せることはほとんどなかったから。きっとこれまで気づかずに生きてきた自分に憤りを感じたのかもしれない。
「⋯⋯ごめん」
細く紡がれた声。どれに。なにに。多分、全部に。
「いいよ。全然。私も気付かれないようにしてきたし」
ずっと伝えたかった言葉は、想像していたよりもずっと穏やかに口にできた。悲しくないと言えば嘘になる。辛くないと言えば嘘になる。それでも言わないよりはよっぽど良い。
「でもこれからも徹の良き理解者で応援者であることは変わらないから。それは絶対、変わらない」
そしてその瞳に映る私がこれから先も変わらないのであれば、もう。
「まあ徹はこれまでも女の子からたくさん告白されてきたと思うし。そういうのと同じだから。だからそんなに大げさに捉えないでよ」
「……全然同じじゃない。それはやっぱり、同じにはならない。正直驚いてるし、名前の言うように気付いてなかったし、でも名前は他の子とは違うっていうのは断言できる。俺にとっては特別な存在だったよ。それにそうじゃなかったらこうして今一緒にいない……ただ、ごめん。気持ちは嬉しいけど、応えられない。自分自身の事、最低だなって思うし、名前が俺を嫌になっても仕方ないってわかるけど、今まで名前のことをそういう風に考えたことなくて。でも、本当に大切だから。名前の事は、誰よりも大切に思ってるから」
「そっか⋯⋯」
そっか。そっかそっかそっか。ぐんと急激に込み上がる感情を頑張って抑える。気を抜くと泣いてしまいそうだった。そうなったら一層徹を困らせてしまう。
気丈に振る舞ってきたけれど、本当は恋人になってみたかった。愛しさの込められた瞳を向けられたかった。大切に名前を呼ばれたかった。距離をなくして触れ合ってみたかった。それはやっぱりどうしたって叶わないことだけど。
望んだ形とは違っても、私はちゃんと徹の特別だったのか。
そっと視線を徹から外して、10センチ程開けられたままのカーテンの隙間から見える夜空を見つめた。
夜の帳に輝く星は切なくなるくらいに綺麗だった。
◇ ◆ ◇
「同じ部屋で寝るの何年ぶりだろ。お泊まり会みたいだね。なんか昔に戻ったみたい」
ふかふかの布団に柔軟剤の香りが漂う。落ち着きを取り戻した心にその香りは優しく届いた。
ベッドで寝る権利を私に譲った徹は近くに置かれたソファで横になっている。体格を考えても逆が良いんじゃないのと訴えはしたものの「明日からの飛行機移動大変なんだから休める時に休んどきな」という徹の言葉に甘えさせてもらった。
「昔はよく一緒に3人で泊まってたっけ」
「懐かしいね」
時計の秒針の音が会話の合間を埋め、狂うことのない一定のリズムは心地よい。光のない部屋はどこまでも夜に埋め尽くされている。
隣から聞こえてくる徹の声だけが唯一のようで私は耳をすませていた。
「徹」
「うん?」
「驚かせちゃったよね」
「そんなこと⋯⋯いや、うん、まあ」
「あはは、正直。でも⋯⋯これからも幼馴染として仲良くしてね」
「そんなの当たり前じゃん」
「なら良かった」
夜が私達を包む。これがアルゼンチンで越える最後の夜。
「名前」
「ん?」
「おやすみ」
「うん。おやすみ、徹」
まぶたをゆっくりと下ろして浮かんだのはこれまでの日々だ。徹と出会ってから今日までの日々。日本を発ってから一人でやってきたアルゼンチンで過ごした日々。
身体の奥の真ん中がまた少し締め付けられる。ああ、好きだったな。本当に。すごく。とっても。徹の事、好きだった。
思い出はいつも優しいから、せめてこの夜だけはその優しさに浸って眠らせて。
(21.05.27)