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 2年前、幼馴染に会う為にアルゼンチンまで行ったことは今でも大切な思い出だ。
 長年抱えていた片思いをあの場所で曝け出せたことは、私にとって必要な儀式だったと思う。大袈裟かもしれないけれど、あの10日間は私の人生を大きく変えた。
 今も徹は遠い遠いアルゼンチンの地で、目標に向かってひたむきに努力を重ねている。惜しみなく努力を重ね続ける徹のことを想像すると、時々やってくる疲労感も絶望感もなんてことないと思うのだ。

 私はあれから管理栄養士の国家試験に無事合格し、シュバイデンアドラーズの専属の栄養士として業務に従事している。徹が倒そうとしている選手たちをサポートしているなんて、かつての私では信じられなかっただろう。いや、私だけじゃない。徹もはじめもこんな未来が訪れるなんて誰も想像できなかった。
 実際、就職が決まった事を電話越しに伝えたとき、徹は一瞬言葉を失くしていた。それでもちゃんと「おめでとう」と言ってくれたのは、私が夢に一歩近づいたから。

 そして2年が経った。徹には一度も会っていない。時々、半年に1度くらいの頻度で連絡を交わすくらいだ。
 遠く離れた地で夢を掴むため、私たちは日々もがき、がむしゃらに生きている。夜を越える度に、数ミリでも前進している自分であれば良いと願いながら、私はあの日交わした約束を胸に頑張っている。

 ひとりで育った恋心が、今日まで続いてきた道を辿るように細く長く続く。もう徹を想うことはないけれど。でも、あの恋が私をここまで連れてきた。

 誰も彼もまだ夢の途中。


◇  ◆  ◇


「影山さん。練習後に確認したいことあるんですけど時間良いですか?」
「わかりました」
「そんなに時間はとらないと思うので」

 練習に向かう飛雄くんを引き留めて言う。夜を切り抜いたような双眸に見つめられると、私はいつも中学時代のことを思い出してしまう。飛雄くんはあの頃の徹の気持ち、知ってるんだろうか。どんな風に思われていたのか気が付いていたんだろうか。それを問うことはないけれど。

「終わったら声かければいいっすか」
「うん。あ〜⋯⋯じゃなくて、はい」
「別にいいですよ、敬語じゃなくて。名前さんのほうが先輩じゃないっすか」

 瞳は丸く、色は深い。
 飛雄くんがいなかったら、そして牛島くんがいなかったら、徹はアルゼンチンに渡航することもなく日本で活躍する選手になっていたのかもしれない、なんてことを思ってしまう。
 同じ時代。同じスポーツ。同じプライド。才能や努力が等しく混じるこの世界で、この人たちと徹を分けたのはなんだったのか。
 影山くんや牛島くんと出会えたことが徹にとって幸だったのか、不幸だったのか私はいまだにわからない。わからないけど、幸せであってほしいと願う。徹の選択するすべてのことが、徹にとってプラスでありますようにと願う。
 それが今の私に出来ること。恋心を落とした私が、幼馴染のために出来ること。

「でも社会人としては影山選手のほうが先輩ですし」
「そういうものっすか?」
「うーん⋯⋯多分?」
「でも名前さんとは敬語じゃないほうが楽なんで、あんま気にしないでください」
「じゃあTPOで使い分けます」
「TPO⋯⋯?」
「時と場所と場合に応じてねってことで」

 中学の頃、私と飛雄くんは所謂「顔見知り」というものだった。1年生と3年生では接点がないから、徹とはじめを介して私と飛雄くんはお互いを認知していた。廊下ですれ違ったら会釈する程度。
 まともな会話をしたのは私がアドラーズに来てからのことで、もしかしたら私のことはもう覚えていないかもしれないと思ったけれど、飛雄くんは私のことをちゃんと覚えていた。
 飛雄くん。名前さん。あの頃、徹は下の名前で呼んでいたから、私たちはただの顔見知りなのにまるで親しい友人のように互いを呼んでいる。
 私とバレーを繋ぐのはいつも徹だ。夢も。人も。来し方から行く末までも。

「あ、あと牛島選手も探してたんだけど、飛雄くん知ってる?」
「さっきミーティングルームのほうに向かってました」
「ありがとう。ちょっと行ってみるね」

 今では同じチームで仲良く頑張ってることを徹は本当のところ、どう思っているんだろう。いや、そんなのはもうどうでも良いか。私は私の夢を、徹は徹の夢を追っているのだから。
 日本の裏側で深く呼吸をしている幼馴染。見える景色は美しいですか。包まれる空気は心地よいですか。苦しさの中に喜びはありましたか。

 私は今日も徹のいない日常を生きている。

(21.07.27)


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