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 飛行機に乗り込んですぐ、3年ぶりに顔を合わせることになる幼馴染の顔を思い浮かべた。体格、身長、髪の毛、顔つき。あの頃とどれくらい変わっているだろうか。その手の話はしてこなかったけれど、彼女はいるんだろうか。なんの知らせもなく私が目の前に現れたら徹はどれほど驚くだろうか。
 機体が安定してシートベルト着用のサインが消えても私はそのまま、ただ徹のことを考えていた。
 目的地にたどり着くまで長い長いフライトになることを、それこそ心が折れるんじゃないかってくらい長いフライトになることを私はよく知っている。でもあの頃よりはずいぶん心に余裕がある。
 
(大丈夫、大丈夫⋯⋯)

 成田空港発サンフアン空港着の航空券は3枚。成田からサンフランシスコ、サンフランシスコからブエノスアイレス、ブエノスアイレスからサンフアン。2回のロングフライト、2回の乗り継ぎ、1回の国内移動を経てようやくたどり着ける場所。
 同じ景色を同じタイミングで見ることはなくても、これはきっと徹が見てきたであろう景色。雲の近さも、果てない地平線も。宇宙に届きそうなあの空も。希望と不安に満ちた、この心も。


◇  ◆  ◇


 全てのフライトが終わりを迎えた瞬間、全身の力が抜けた。ブエノスアイレスで一度入国手続きを済ませたとは言え、日本を発ってから約35時間近く移動に費やしてきたのだ。もうこのままふかふかのベッドに横になって思う存分眠りたいという欲望をどうにか抑えて到着ロビーに向かう。
 3年前と変わらない建物の内装に、苦労してやってきた日のことを思い出す。だけど今回は3年前とは違う。ここで暮らすのだ。衣食住を整え仕事を行う。捨てるためではなく、得るための日々。

「う⋯⋯腰痛い⋯⋯」

 3年前と変わらない場所にある空港内のカフェ。でもあそこにあのモニュメントはなかった気がする。案内板には多くの言語が並んでいるけれど、日本語はどこにも見当たらない。
 ああ。私、本当にもう一度サンフアンまで来たんだ。もう絶対来ることはないと思っていたのに。ここまで導いたのは私自身なのか、徹なのか。それとも取り巻く環境の全てが私をここまで連れてきてくれたんだろうか。
 徹は初めてサンフアンに来た時どんな気持ちだったんだろう。これから始まる生活に不安を抱いたのかな。それとも希望に満ち溢れたのかな。長いフライトを終え、私のようにゆっくり眠りたいって思ったのかな。
 
『言い忘れてた』

 はじめから連絡がくる。窓から差し込む夕方の光に目を細めながらカリフォルニアとの時差を考える。4,5時間くらいだろうか。きっとはじめも、はじめのいるべき場所でやるべきことをやっているのだ。
 世界はとてもとても広く、そして時々驚くほど小さい。

『頑張れよ』

 4文字の言葉を目に焼き付けるようにまじまじと見つめる。
 本音を言えば私はちょっと不安だった。周りの人に手助けしてもらいながら日本で出来る手続きはしたつもりだけど、いざ来てみると本当に準備万端だったのか自信がなくなっていた。徹がいるとはいえ、全て1から始まるのだ。希望よりも不安が先立つ。
 相談できる友達もいない。日本食だって気軽に食べられない。12月なのに暑いし8月なのに寒い。そういう小さな心配が積もって不安を助長していた。

『ありがとう』

 はじめの言葉が私の背中を押してくれる。そうだ。頑張らないと。私は私の我を通す。そう決意したのは、3年前のこの場所だったのに。きっと徹もうそうだったに違いない。ここから始まるのだと、闘志を燃やしたに違いない。

 だったら、私も。

 聞こえてくるスペイン語。目に入るアルゼンチンの国旗。日本とは全然違う。でも大丈夫。やれる。やりきれる。もう一度自分に言い聞かせた。


◇  ◆  ◇


 その一週間後、いよいよCAサンフアンのメンバーと顔を合わせる日がやってきた。その間、私はブランコ監督と先に顔合わせを行い、生活の基盤を整え、目まぐるしい日々を過ごしてきた。

「緊張しているかい?」
「少しだけ」

 ブランコ監督が柔らかく笑む。この人が徹が憧れたセッターで、師事を望んだ人。徹をアルゼンチンに導いた人。そういえば高校生の時、徹がすごい人と話をしたと得意気に話をしていたけれど、今思えばブランコ監督のことだったんだなと納得する。

「トールは驚くだろうね」
「なんで言ってくれなかったのって怒られるかもしれません」
「ハハハ」

 チームのために設備された広い体育館。ドアの向こうに足音が聞こえて、選手たちがやってくるのが分かった。

「さあ、はじまる」

 ブランコ監督の言葉に頷いて、ドアを見つめた。重たそうな音が体育館に響いて、開いた扉から背の高い集団が姿を現す。あの中に徹がいる。選手たちが近づくと同時に私の心拍数も上昇して、何度も深呼吸を繰り返した。

「Hola」

 誰かが言った。
 何人かの選手と目が合って、その中から私は1人1人確認するように徹を探す。
 そして、とうとう徹が私を見つけた。

「えっ名前!? なんで!? どういうこと!?」

 驚きに満ちた声と顔。徹の日本語が何故か心地よく私の耳に届いた。

「Hola. 久しぶり、徹」

 恋を終わらせた場所で、私の夢が前進する。

(21.07.31)


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