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 冷房が効いた室内での作業は快適だけれど、真昼へ向かうに従い太陽の日差しも濃いものになってゆく気がする。乾燥性気候のサンフアンは日本の日差しと比べると幾分かましだ。それでも外に出たら暑いものは暑いと思う。
 10月下旬。CAサンフアンの栄養管理業務を行うようになって3週間が経った。目まぐるしく過ぎてゆく日々が時間の経過を忘れさせ、時折、首筋をじっとりと流れる汗に夏がやってくるのだということを実感させられる。

「ナマエ、それが終わったら午前の業務は終わりにしていいから」

 そんな風に、穏やかに季節が夏へ向かってゆくように、私の業務もゆるやかにその範囲を広げていた。

「ありがとうございます。もう少しで終わると思うので」

 一緒に働くメンバーはみんな優しくて指導も丁寧だ。業務内のことのみならず、文化や言語、日本から単身やってきた私が困惑するであろう事柄に対して、彼らはとても親切に、私と共に問題解決に取り組んでくれる。
 知り合いは徹しかいない、一度だけ来たことのある日本の裏側の国。そんな場所でもストレスさほど感じずに過ごせているのは、周りの人に恵まれたことが大きい。

「大丈夫? 何か手伝おうか?」
「ん⋯⋯いや、多分、大丈夫です」

 チームには私以外にもスペイン語を母国語としないメンバーがいて、もちろんスペイン語が飛び交うこともあるけれど、それと同じくらい英語でのやりとりも行われていた。
 実際、今私が見つめているメールの文面も英語で送られたものである。専門用語が並ぶそれは、時々読解に時間がかかってしまうこともあるけれど、それもまた周りの協力によってなんとか遂行しているのが現状だ。
 栄養指導、食事レシピの作成、他職種との連携会議。日本で行っていたことと大幅に変わるものはないけれど、国が変わるだけで私は今までのようにスムーズには出来ないし、アルゼンチンならではの考え方に時々はっとさせられる。
 こういうやり方もあるのか、こういう考え方もあるのか、こういう作り方もあるのか。新しい視点を学ぶ度、ここで勉強できることを嬉しく思う。

「あ、なんとか終わりそうです」
「よかった。お昼どうするの?」
「ラウンジに徹がいるみたいだから行こうかなと思ってます」
「そう。ならまたシエスタ後にね」
「はい。お疲れさまでした」

 午前中までには終わらせると決めていたノルマをどうにかこなし、私はようやくお昼にありつけた。
 そしてここから長い昼休み——シエスタが始まるのである。

『午前の業務終わったから今からそっち行くね』
『OK。今ニコラスとラウンジにいる』

 大きく息を吐きだして時計を見つめる。現在時刻は12時。そして午後の業務が始まるのは16時。私はこのシエスタを今でも上手く過ごせないでいる。
 デスクトップの電源を落としてラウンジまで向かうと丸いテーブルに対面して座っている徹とニコラスが目に入った。

「おつかれ」
「お疲れ、名前」

 二人の間にある空席に腰を下ろす。
 確かに日本にいたときは昼休みなんてあっという間に終わってしまうと思っていたけれど、だからと言ってそれが急に4時間にも増えたらそれはそれで困る。
 疲れた日は寝て過ごす時もあるけれど、眠れない日や手持無沙汰な日はたいてい徹に連絡をとって、今みたいに午後の業務が始まるまでの時間を一緒に過ごしてもらっていた。

「徹、昼ご飯は?」
「1時間後くらいに食べようかなって思って。名前は?」
「私もそうする。早くに食べるとどうしても夜の仕事中にお腹空いちゃうんだよね」
「わかる」

 トータルで8時間働くのは日本人と変わらない。でもシエスタがある分、業務の終了時間も遅くなる。だからアルゼンチン人は夜ご飯を食べるのが遅い。
 夜21時過ぎに夜ご飯をしっかり食べることにはどうしても気が引けてしまって、夜は控えめに、昼は遅めにしっかりと、という食生活をするようになった。幸か不幸か、この食生活をすることで少し肌質が良くなった気がする。

「アルゼンチンはどう? チームの雰囲気にも慣れてきた?」

 私の左に座っているニコラスが尋ねる。3年前、徹と共に空港まで迎えに来てくれたニコラスもまた旧友のように私のことを気にかけてくれていた。

「チームには慣れてきたけど、仕事とかアルゼンチンの文化とか、まだまだわかんないことも多いかな」

 私よりも年上だと思っていたニコラスが、その実、同い年だと知ったのはつい最近のことだ。

「トールも最初は苦労してたけど、今では立派なアルゼンチン人なんだからナマエもきっとすぐに慣れるよ」
「だと良いんだけど」
「そうだ。それなら週末、一緒に夜ご飯食べに行こう」
「え、ご飯?」
「練習ないだろう? 僕とトールとナマエで」

 人懐こいニコラスの笑み。夏でもしっかり気温が下がるサンフアンの夏の夜はとても過ごしやすい。アサード、エンパナーダ、プロボネーゼ。

「いく! 美味しいお肉料理食べたい」

 こうして週末の約束が交わされたのだった。

(21.08.08)



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