10



 テーブルに広がるアルゼンチン料理。見た目も香りも申し分ないそれらに舌鼓を打つ。

「トールから日本のことは聞いてたんだけど、ナマエの話も聞きたい! 私、日本のマンガがとても好きなの」

 お店に入り注文をしてすぐにニコラスの妹であるカサンドラはやってきた。目鼻立ちのくっきりとした顔とダークブラウンの長い髪の毛。イタリア系でありながらも唇の薄さやその髪色に先住民の血を感じる。それでいて気取らない性格。日本にいれば男女関係なく人気者になるだろう。
 思わず顔小さくてモデルみたい、と言ってしまいそうになったけれど寸前のところで言葉を飲み込む。顔が小さいことを美とするのは主に東アジアの国々だ。他の国ではそれはただの身体的特徴にすぎなくて、むしろ悪い意味でとらえられることもある。
 顔が小さいということは頭も小さいということで、頭が小さいということは脳も小さい。つまり、頭が良くない。そう捉える人もいるから気を付けてねと徹に教えてもらったのは良い思い出だ。

「最近トール忙しいからって全然連絡もしてくれないし。日本で流行ってること聞きたいのに」
「教えてあげたいけど俺全然日本帰ってないから本当にわかんないんだって。だから名前が教えてあげて」
「私?」
「適任じゃん」

 カサンドラの輝かんばかりの瞳。この期待に満ちた眼差しを前にして断ることが出来る人間なんているんだろうか。

「私も流行に敏いわけじゃないけど、でも、うん。何でも聞いて! 日本文化に興味持ってくれてるの嬉しい」

 そうしてカサンドラと連絡先を交換し、ついにサンフアンでの初めての友達が出来たのだった。


◇  ◆  ◇


 おや? と思ったのはそれからすぐのことだった。食事を平らげてそろそろ解散しましょうかとなったとき、確信に近いものに変わった。

 カサンドラってもしかして、徹のこと好意的に思っている?

 食事の最中の視線や、話題の振り方。向ける笑み。そして何より徹の名前を呼ぶカサンドラの表情が艶めいている。その親し気な雰囲気は一朝一夕で培われたものではないとわかる。
 たくさんある、私が知らない徹のうちのひとつ。
 好意を示す仕草や行動はきっと国によって違いはあるだろうけれど、カサンドラと徹の間にある雰囲気は紛れもなく「良い感じ」というやつで、もし何も知らないで実は付き合ってるんだと言われたら納得してしまう類のものだった。

「トール、送って」
「俺? 良いよ。じゃあニコラスに名前の送りお願いして良い?」
「もちろん。ちゃんと送り届けるから安心して」

 お店の外でせがむカサンドラからつい視線をそらしてしまう。
 別に徹が誰とどんな関係を築こうと私には関係のないこと。高校生の頃みたいに悲しい気持ちを抱く必要もない。不意に、遠い昔の行先のない感情が思い起こされて頭の隅に追いやった。

「じゃあまたね、ナマエ! 今度は一緒にカフェでも行きましょ」
「うん、楽しみにしてるね。徹もまた明日ね」
「また明日。じゃあニコラス、名前のことよろしくね」

 おやすみと言い合うとそれぞれがペアになって別々の方向へ向かって背を向ける。

「ふたりのこと、気になる?」
「えっ嘘、顔に出てた!?」

 歩き出してからしばらくの後、ニコラスは尋ねた。慌てて顔を隠す仕草をすると隣で肩を震わせるから、ニコラスに試されたのだということを悟る。
 咄嗟に出た自分のセリフを棚に上げて私はニコラスを見つめる。

「ニコラス」
「ごめんごめん。だってトールのことばっかり見つめてるから僕に送られるのそんなに嬉しくないのかなって思ってさ」
「⋯⋯そんなことないってば。遅い時間にわざわざ送ってくれるのありがたいなって思ってるよ」

 徹ともはじめとも違う、ニコラスの醸し出す神秘的かつたおやかな雰囲気。気がつけば私は、あの時のことを口走っていた。

「私、徹のことずっと好きだったんだよね。3年前に来たときも告白する為に来たんだ。ふられる前提だったけど。実際告白して、ふられて」
「うん」
「だから徹とカサンドラがどんな関係であっても私の関与する余地はないって思ってる」
「そっか」

 褒めるでも慰めるでもないニコラスの相槌。だけどそれが私にはとても優しいものに思えて、夜の冷たさを少しだけ忘れた。頭上に光る星々の淡い輝きに胸が揺らぐ。

 徹は誰を愛するのだろう。勝利の喜びを真っ先に伝え、茨の森にとらわれたような不安に苛まれた時手を差し伸べてくれる相手は誰なんだろう。繊細な心でさえ傷つけられても良いと思える人がこの世に存在することが、羨ましい。
 私はそんな相手にはなれないから、だからせめて願う。今日が明日が明後日が、徹にとって素敵な日でありますようにと。

(21.08.08)


priv - back - next