03



「徹、3年の先輩と付き合い始めたんだってね」

 翌週月曜日の朝、玄関先で遭遇したのははじめだった。
 先週、徹とそうしたようにどちらからともなく歩み寄って同じ場所を目指す。
 ゆっくりとゆっくりと、夏が姿を見せる。アスファルトに反射する太陽の光も日に日に強くなって、きっとそろそろ見上げれば眩しくて目を細めてしまうようになるんだろう。
 白い制服がより一層眩しくなると思いながら私がそう言うと、はじめは一瞬だけ間を置いてから返事をした。

「らしいな」
「知ってた?」
「先週聞いた」
「じゃあ私と同じだ」

 はじめに聞くと、今日徹はその彼女と待ち合わせて一緒に学校へ行くために早く家を出たらしい。気を使うような物言いをするはじめに、私は少し笑ってしまいそうになる。私が勝手に1人で好きになって、勝手に1人で傷付くんだから、はじめは気にしなくて良いのに。

「なにその顔」
「いや⋯⋯大丈夫かどうか心配するだろ」
「大丈夫だよ。なんか、意外と大丈夫」

 そう言えば、来週は少し気温が下がって過ごしやすくなるんだって。今朝の天気予報をこんな時に思い出す。
 大丈夫。大丈夫。その言葉を胸の中で何度も呪文のように繰り返した。

「⋯⋯まあ、大丈夫なら良いんだけどよ」
「うん。ありがと」

 きっと大丈夫じゃないと言えば、はじめは心底心配するだろう。私の幼なじみはそういう人だ。時々、私はどうしてはじめを好きにならなかったんだろうと思う時がある。はじめも優しくて、かっこよくて、運動が出来て、勉強が出来て、考えれば非は何一つ見つからないのに、どういうわけか私が心惹かれたのは徹だった。
 
「どちらかと言えばきっとはじめに彼女が出来た時のほうが大丈夫じゃなくなると思う」
「なんでだよ」
「んー⋯⋯なんか独りになったって感じがする、気がする」

 多分、私は徹と自分が結ばれる未来を想像できないのだ。幼なじみであり、親しい友人であり、良き理解者であり、尊敬できる相手。私は徹の「唯一大切な女の子」みたいなものにはきっと、どうしたってなれない。
 それはこれまで共に過ごしてきた経験則からもそう言いきれるし、所謂女の勘にも似ていた。ピンと張り詰めていた糸が弾かれるような感覚。あ、徹は私のことをそんな風には見てくれない。そう気が付いたのはもう随分も前の事だ。
 それは穏やかに「諦め」へと変わった。仕方ないのかも。そう思えば幾分、気持ちは楽になる。そんな素敵な称号を手に入れられなくても、私は徹と近い場所にいる。いつかは誰かが簡単に越えてしまうであろう思い出の数々も、私が溢さなければ良いだけの話だ。

「なら迂闊に彼女なんてつくれねぇな」
「あはは。はじめは男前だからなぁ。案外簡単に彼女出来ちゃうかも」

 軽い冗談を言うような口調で話す。

「先週、徹に私だってはじめと付き合う可能性はゼロじゃないんだよって言ったの」
「んなこと言ったのかよ」
「限りなくゼロに近いとしても完全なゼロではないわけじゃん? 数年後、数十年後も含めてさ」
「そしたらなんて言われた?」
「それはダメなんだって。はぶかれちゃうからって。1人になっちゃうからって」
「女々しいな」

 でも私と徹は唯一、完全なゼロだと思った。 
 徹が私に恋を覚えることは数年後も数十年後も、なんなら生まれ変わったとしてない。

「⋯⋯早く、違う誰かを好きになれたら良いのに」

 青い風が吹いて木々がさざめく。その音に紛れさせるように呟いた言葉はちゃんとはじめの耳に届いていた。
 何かを言うわけではなく少し乱暴に、けれど力は優しく私の頭に置かれた手のひらは髪の毛を整えた時間をなかったことにするように動かされる。
 こんな瞬間にも、徹は好きな人と一緒にいるんだ。

「幼なじみにこんな顔させてんだからアイツも少しくらい天罰くだれ」
「はじめが言うと本当にくだりそう」
「くだるくらいが丁度良いだろ。あんな鈍いやつ」

 鈍いのではない。徹は最初から私を「女の子」のカテゴリーに入れていない。だから私の好意には気が付かないし、夢にも思わない。私が徹を好きと思っているなんて徹にとっては想像すら出来ない出来事なのだ。

「例えば教科書忘れた日に誰からも借りられなくてしかも授業中当たっちゃうみたいな?」
「おー。いいな、それ」

 いつか私達はバラバラになるだろう。なりたいものになるため。行きたい場所に行くため。今はこんな風に一緒にいることが出来ても、儚いくらいあっという間にこの時間は終わるのだろう。だからこそ私は、私に出来ることをしたい。恋が実らなくても、唯一の女の子になれなくても、同じ景色を見られる立場にいなくても。苦しみや喜びを分かち合える存在でありたい。世界のどこにいても、何をしていても。
 それが私に出来る唯一。私なりの恋なのだから。

(20.09.30)


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