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「⋯⋯ねぇこの音名前のスマホじゃない?」
「あ、そうかも」

 歩みを進め、私の部屋まであと100メートル程といったところで鳴った音を徹が指摘した。
 それは確かに私のスマホから流れてくる音で、それほど音量は大きくないのにもかかわらず、一瞬にして空気を切り裂くような轟を響かせた。まるで何かを示唆するように私の鼓膜を揺らす。

「電話?」
「ううん。メール。ニコラスから」
「ニコラス? なんて?」

 驚きの表情を浮かべる徹に私も「なんだろう⋯⋯」と小首を傾げる。ほぼ毎日顔を合わせるニコラスがこんな風に連絡をしてくるのは珍しいことだったから。
 立ち止まりスマホを操作する私の傍らに徹が立てば、より一層深い影が私を覆う。

「⋯⋯次の練習オフの日、良かったらふたりで一緒に出掛けないか、だって」

 徹は画面を見てしまわないようにと体を明後日の方向に向けてくれたけれど、予想だにしていなったニコラスからの誘いの文言を前に、私はつい内容をそのまま口に出してしまった。
 そうしてしまうほど、その誘いは意外だったのだ。

「え!?」

 だから徹も私と同じように驚いて、驚愕の声をあげる。見開かれた双眸はただ真っ直ぐに私を見ていた。

「待って。名前とニコラスってそんなに仲良かったっけ?」
「う、ううん。練習場ではよく話すし、たまーに連絡も取るけど2人で出かける程ではない⋯⋯かな?」
「だよね⋯⋯それで、行くの?」

 いつもよりも幾分か低音の声。私の判断を急いているような色が瞳から伺える。
 普段ならきっと迷わず承諾していたと思う。ニコラスにどんな意図があるのかわからないけれど、断る理由を見つけるほうが難しいし、特段深い意味もなくフランクに誘ってくれたかもしれない。
 でも何故か今は「わかんない」と口にしてしまった。徹の視線に応えながら、どうしてそんな勿体ぶるような、濁すような言い方をしてしまったのか自分でも到底わからなかった。

「そっか」

 徹は怪訝そうに眉を寄せて、短く声を出すだけだった。
 

◇  ◆  ◇


 結果から言えば、私は次のオフの日、ニコラスと2人きりで出かけた。
 車を出してくれるというニコラスの言葉に甘えて、ニコラスが家族でたまに行くという郊外のレストランまで連れて行ってもらった。街中を抜ければ道路の左右に果てなく続くブドウ畑。広大な大地にのびのびと育つ果実を車の中から見つめ、テイクアウトしたコーヒーを近くの大きな公園で歩きながら飲んだ。
 とても自然なニコラスのエスコートも私を丁寧に扱うような言葉選びも、時々気持ちがくすぐったくなったけれど、多分、そこに恋愛感情があるわけじゃないということはわかっていた。これはきっとニコラスなりの私への気遣いで、優しさ。

「昨日、ニコラスと出かけたんだってね」

 と、徹に言われたのは翌日の昼休みだった。
 迷った挙句、私が事前に徹へ伝えていたことは「出かける」という事実だけで、行先や時間帯などの詳しい内容は何一つ話していなかったのだ。
 だけどおそらくニコラスからある程度の話は聞いていたのだろう、徹は私の顔を一通り眺めるとそのまま続けて「楽しかった?」と聞いてきた。

「うん。まあ、結構楽しかった」
「遠出したんだっけ?」
「車で1時間くらいのところかな。お昼食べたところが美味しかったから、今度は4人で行きたいよねって話もしたよ」

 これも徹にとって一種の心配になるんだろうか。それとも一緒にいたときに誘われたから行く末が気になっただけなんだろうか。だけど徹の表情はいつもと同じだったから、それすらも私の考えすぎなのかな。

「なんか」
「うん」
「名前が異性と出かけるって聞くの初めてだから、変な感じ」
「ちょっと、私がモテないって言いたいわけ?」
「そうじゃないけど、今まで名前のそういう話も聞かなかったし」

 そもそもそれだって元をたどれば徹という片思い相手が居たからであって、私だって別にそういう色っぽい話がなかったわけではない。ただ、徹には何も言ってこなかっただけで。

「⋯⋯あるから」
「え?」
「私、人と付き合ったこと、あるから」
「は!? 嘘でしょ!? いつ? 俺の知ってるやつ?」
「⋯⋯大学生の時だし、同じ大学の人だったから徹は知らない」

 まあ三カ月で別れたけど、とは言わなかった。徹ではない人に気持ちを向けたくて付き合ったなんて失礼な話だったと思うし、結果失敗に終わったのだから私としてはあまり口にしたくない話でもあった。それでも口にしたのは完全に私の見栄だった。
 驚く徹を横目に、余計なことを口走ってしまったかもと頭を抱えたのである。

(21.10.12)


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