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 4人で夜ご飯を食べた以来、カサンドラとは時々メールをしていたけれど2人きりでカフェに行くのはこれが初めてだった。市内中心部にある、最近SNSでも人気だというカフェ。写真映えするようなお店なのかなと思いながら足を運べば、予想とは反対に落ち着いた壁紙とシックが流れる店内は居心地の良い雰囲気が漂っている。

「ようやくゆっくり話す時間が作れて嬉しいわ」
「私も。今日はありがとう」

 無邪気な声でカサンドラは言う。冷房がほどよく行き渡った店内が夏日には丁度良い。カサンドラの飾らない性格は私の緊張を早々に解してくれて、私達の間に漂う空気感もやんわりと穏やかなものへと変化してゆくのを感じた。

「ナマエの事はトールからよく聞いていたの」
「そうなの?」
「ええ。ナマエとイワチャンって名前の幼馴染がいるって」
「じゃあ、はじめ⋯⋯あ、岩ちゃんのこともカサンドラは知ってるんだね」
「トールの学生時代のチームメイトでもあるのよね?」
「うん」
「ナマエのことも昔からずっと一緒にいていつもバレーを応援してくれる家族みたいな存在って言ってたわ。実際話してみてトールの言った通りの女の子で嬉しいなって思ったの。ぜひお友達になりたいって!」

 微笑みと共にふわりと香るホワイトムスクの甘い匂い。それがカサンドラの女性らしさを示しているようで思わず気持ちを揺さぶられる。
 そんな風に無邪気に笑えるのが少しだけ羨ましい。カサンドラと徹のことを全く気にならないと言えば嘘になるけど、もし2人が実際にそういう関係になるのだとしたら祝福したいとも思う。徹の恋路を、カサンドラの恋路を、心から応援できる人間になりたいと思うけれど。

「そう言ってもらえるとすごく嬉しい」

 今はまだ純粋にそれが出来ないのは初恋の呪いなのか、それとも失恋が残した試練なのか。どうしようもない感情を持て余しながら、それでも私は出来るだけ笑顔でいられるように努めた。

 日本の文化やアルゼンチンの文化、互いの趣味や好きなことの話、徹やニコラスの話題も交えながら私たちはゆっくりと交流を深め、そうして注文したカフェラテが底をつく頃、私は半ば無意識に尋ねていた。

「カサンドラは徹のこと好きなの?」

 一瞬、驚いた様子を見せるカサンドラに自分が何を問うたのか理解する。

「好きよ」

 いくらなんでも不躾だったかもしれないと謝ろうとした私よりも先に、はっきりと揺らぐことのないカサンドラの声。まっすぐ届き鼓膜を揺らすその声色には意思の強さが乗っていて、妙にストンと腑に落ちた。

「⋯⋯そっか」
「ナマエは?」
「え?」
「ずっと近くにいてトールに恋したことなかったの?」

 答えを口に出す前の、ほんの少しの沈黙の間に頭の中を駆け巡った、私が徹に恋していた日々。
 カサンドラの視線に応えながら私も口にした。
 
「あったよ」

 その過去に後悔はないからすんなりと言えた。
 私が長い間徹に片思いをしていたこと、気持ちを伝えるためにかつてアルゼンチンへ旅行をしたこと、そして今は自分の夢を第一としていることも。カサンドラは相槌を挟みながら私の言葉に耳を傾けてくれる。

「ひとつ、聞いても良いかしら?」
「うん。いいよ」
「遠慮せずトールをデートに誘ってもナマエは傷つかない?」

 予想外の質問に私は一瞬言葉に詰まる。
 見透かすようなカサンドラの深い瞳の色。想像を働かせ、途中で打ち切る。これは駆け引きではない。カサンドラの私に対する配慮だ。私と徹が重ねてきたこれまでの年月に対するカサンドラなりの敬意なのだと思う。
 だったら私が言うべきは一つしかない。

「⋯⋯うん、大丈夫だよ」
「良かった。これで思い切ってデートに誘える」
「徹のことよろしくね」
「ええ。もちろんトールの気持ち次第だけど、ナマエからそう言ってもらえたら心強いわ」
 
 そう言うカサンドラの姿はとても眩しくて、彼女の隣に立つ徹の姿を想像すると胸の奥が甘く疼く。私が持てなかったものを持っているカサンドラがやっぱり少し羨ましい。

「カサンドラ」

 私が名前を呼ぶとカサンドラは小首を傾げた。その拍子で緩くウェーブのかかった長い髪の毛が揺れてまた甘い香りを運ぶ。高貴な清潔感のあるそれはカサンドラによく合っていて、胸を締め付けながら記憶を刻むように鼻腔に残った。
 大丈夫。私は間違ってない。大丈夫。

「私、カサンドラの気持ち応援してるから」

 これは私が選んだ先の結果だ。だからどうか、この先自分が選んだこの道を後悔しないためにも徹には幸せでいてもらいたい。
 そこに私はいなくても。
 そこに恋がいなくても。

(21.10.20)


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