週末にカサンドラと徹が2人で出かけたということをニコラスから聞いたのはその翌日の日曜日のことだった。
そしてさらに翌日の月曜日、練習が始まる前の朝。
「おはよ、名前」
「おはよう」
声色も抑揚もいつもと変わらないはずなのに、徹との間に薄い一枚の幕を隔てられているように思えたのが不思議でならない。
私の知らないところで私の知らない徹が存在するなんて今に始まったことじゃないのに。
「土曜日、カサンドラと出かけたんだって?」
「あー⋯⋯うん。聞いた?」
「ニコラスから聞いた。でもその前にカサンドラから相談も受けてたし」
「相談ってどんな?」
「それは内緒」
バインダーに挟まった書類をめくると、束ねきれなかった髪の毛が落ちて視界の横に入ってくる。
「楽しかった?」
「え」
「カサンドラとのお出かけ」
「まあ、うん」
「そっか」
他意はないと自分に言い聞かせた。これはただの日常会話。カフェでカサンドラと話をしたから今こうして徹に尋ねているだけ。どこか自分を欺くように、誰に言うでもない言い訳を自分の中で繰り返す。
そう、これはあくまで幼馴染として。
「カサンドラ可愛いし綺麗だし、むしろ羨ましいくらい」
出来るだけ別の意味を持たせないように。軽く、緩やかな調子で。だけど視線を合わせずそう言うと、徹からの反応はなかった。
不思議に思って徹に視線を向けるとほんの少し眉を寄せた表情で私を見つめる徹と目があった。どうしたのと言うよりも早く私を呼ぶ別の声が届く。
「ナマエ」
「あ。ニコラス、おはよう」
「おはよう。トールも」
「おはよ」
少し遅れてやってきたニコラスは私と徹が話しているのを見つけて傍に立つ。片手をあげて軽い調子で交わした朝の挨拶は、体育館に広がり始めた喧騒と共にぼやけるように消えていった。
「そういえばニコラス、昨日は連絡くれてありがとう」
私だって昨日の夜、2人きりではないもののニコラスと会っていたことを徹には言ってない。
徹の知らないところで徹の知らない私が存在するのもまた当然のことなんだから、私に何かを言う権利はないのだ。
「急に呼び出して大丈夫だった?」
「うん。ちょうど暇してたから、むしろ丁度よかった」
安堵した表情を見せたニコラスは、追って何かを言おうとしたけれどそれよりも先に他のメンバーに呼ばれてしまい、私達を残して背中を見せた。
私とニコラスが話しているのをただ黙って聞いていた徹がそこでようやく口を開く。
「昨日、ニコラスと会ってたの?」
「うん。食事の約束してた友達が来られなくなったから代わりに一緒に食事行かないかって誘ってくれて」
「行ったんだ?」
「暇だったし、ご飯の用意してなかったときだったから」
「へえ⋯⋯」
「別にニコラスとの間に深い意味はないよ? それにニコラスの友達もいたし」
含みのある顔に、徹が何を考えているのかを悟る。ニコラスのためにも誤解のないようにしなくてはいけないと徹の考えを否定する言葉を紡いだ。
徹にも伝えているけれど、そもそも私は誰かを好きになるつもりはない。私がニコラスにどれほど魅力的に映っているのかまではわからないけれど、一時的にアルゼンチンに身を置くような相手をあっさりと好きになるような人でもないと思うし。
「俺の知らない間にずいぶん距離を縮めてるんだなって思って」
「ニコラス優しいからね。徹が言った言葉もあるし、私のこと結構気にかけてくれてる」
だからニコラスのそれは恋愛から発生する好意ではない。純粋に人間としてのものだ。
「ふーん⋯⋯」
「なにその反応」
「別に。日本人女性って物珍しさだけで興味もつ男はいるし、そういう奴に引っかかってほしくないだけ」
「ニコラスはそんなんじゃないの徹もわかってるでしょ。それに私そんな奴に引っかからないよ」
「でもワイルド系イケメンが好みなんでしょ?」
「⋯⋯ま、まあね」
自分でも忘れかけていたことを言われて動揺してしまいそうになる。
別に好みなんてない。ワイルド系イケメンも、テレビに出るような整った顔立ちの人も、思わず声をかけたくなるような美丈夫も興味はない。
でも世間一般で格好良いと言われるような人に黄色い悲鳴をあげるべきなのだ、私は。多分、きっと、徹の為にも。
「名前」
「んー?」
「俺にこんなこと言う資格はないのかもしれないけど」
改まる姿勢。
「あんまりスキ見せちゃだめだよ」
なにそれ。自分だってカサンドラとふたりで会ってるくせに。全く理解できない徹の発言に、私の心は悲しさと憤りが混ざり合うのだった。
(21.10.24)